午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

寂しさよ

7月になった。大きな入道雲があちらこちらに見える。すっかり夏の空になった。大学の春学期は終わった。そして、盆が近づいてきている。

 

お盆は、ご先祖様をお迎えする行事だという。お盆の前後は、一年で一番死者の匂いが充満する気がする。けっして、悪い匂いではない。むしろ暖かい。

 

恋人と幼少期をともに過ごした飼い犬が、先日あの世へと旅立った。この出来事は、恋人だけではなく、(2度ほどしか会ったことがないにもかかわらず)わたしにとっても大きな出来事だった。最後に会ったのは1ヶ月ほど前、その白いしば犬に会った。そのとき犬はすでに足を悪くしており、ほとんど歩くことはなかったらしいが、犬はうれしそうにわたしの方に来た。わたしは犬に近づいた。そのとき、わたしと犬、あるいはわたし、犬、彼女、そして彼女の故郷と不思議なつながりを感じた。

 

犬が亡くなったと聞いたとき、わたしは泣いた。自分でも(頭ではとくに思い入れはないと思っていたので)泣いたことに驚いた。後から考えれば、わたしが泣いたことには3つの理由があった。1つ目はもちろん、犬が亡くなったことそれ自体。2つ目は、犬を亡くした彼女の哀しみを自分の哀しみとおなじようにとらえたこと。そして3つ目は、なにかを喪失するということそれ自体にたいする哀しみだ。ありふれた、いつまでも続くと思っていた日常を無くすこと、それはまるで、自分の片腕を無くしたような痛みであり、深い深い哀しみであった。

 

寂しい、それは寂しい。わたしはもともと、極度に寂しがりやな人間だ。しかし、わたしは同時に思った、寂しがってばかりいてもだめだ。寂しさに耐え、強く生きなければ。哀しみを受け止め、たとえどんな雨が降ろうとも、立たなければ。泣いているのは、けっして自分だけではないのだ。

 

わたしは、心のなかで、どこまでも広がるよく晴れた夏の海を見ていた。