午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

モラトリアムの(本当の)終わり

前にブログ記事を書いてから、1ヶ月が経った。その間、農村部で、毎日インタビュー相手のお宅を訪問して、彼らの人生を聴きとった。

 

わたしにとって、それは本当に面白い経験だった。町ゆく知らない人の人生を知りたいと思っていたことはあったが、それを実践したのである。これは素晴らしい経験だった。研究がうまくいくかは知らないが、わたし個人の人生にとって、貴重な財産になった。彼らのひとりひとりが、わたしに生きる力を与えてくれた。

 

貴重な経験は、他にもあった。生まれて初めて、大学で授業を担当したことだ。いままでは「学生」として受講するだけであったが、はじめて教壇に立つことで、サービスを受ける側から提供する側に回った。

 

もうひとつ、大きなことがあった。彼女と婚約したのが、それである。それは、わたしにとって、自分ひとりの人生から、他者とともに生きる人生というコペルニクス的転回であった。青年期が終わりを迎え、成人期に入っていくのを肌で感じている。

 

いままでは、自分ひとりのために生きてきた。それは、向井秀徳の歌の歌詞で言えば、「モラトリアムの地獄絵図」の状態だった。毎日のように、追われている夢をみたが、その意味がわかった。モラトリアムとは、もともとは経済用語で、「支払い猶予」という意味である。今まで「出世払い」として、ツケにまわしてきた数々のものの支払い期限が近づき、取り立てにあっていたのである。つけ払いにしていたものは、他者の善意であり、おそらくは愛であった。

 

善意を一方的に受け取るのは、ただの搾取である。これからは、善意を返していこう、与える側にまわろうと決意した。それが義務だからとか、道理であるからという理由ではない。与える方が、受け取るよりも何十倍も歓びを感じることがわかったからだ。