午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

孤独の起源

最近、Javascriptという言語にハマっている。フロントエンドエンジニアに転職した弟に教えてもらっているのがきっかけだ。

 

もともとは研究に行き詰まり、さらにアカデミアの就職事情があまりにも耐え難いものであることを知ったので塞ぎ込んでいたところ、今期の授業でPythonをやり、あらためて自分のコーディングスキルに触れて、このままここにいるのはもったいないと思ったことが発端だった。

 

そこで最初はPythonでのデータ分析の求人を探したところ、供給も少ないが需要も少ないことがすぐわかり、浮かんだのが弟の存在だった。

 

弟に聞くと、Webを使う側が見える部分を中心に実装するフロントエンジニアと、サーバー側のバックエンドエンジニアという2つの領域があると知った。自分はもともとPythonを使っていて、それを活かすならデータ分析を頑張るか、バックエンドエンジニアになるのがよいのだが、どうもサーバー側でミスは許されないのにデータベースなどをいじる作業に興味が持てなかった。

 

そこで、小学生のときにHTMLやJavascriptに触れていたことを思い出し、Webアプリを作りたいというモチベーションと、少しでも給料が多く欲しいというモチベーションから、Javascriptの勉強をすることにした。

 

今のJavascriptは、わたしがさわっていた20年前と比べると、圧倒的に発展していて、Reactなどのフレームワークや、Node.jsなどの仕組みが全然理解できない。それでも、触ったり、弟に勧められた動画を見ているうちに、少しずつ理解し始めた。そして、そのうち、Javascriptそのものが楽しくなってきて、就職のことはあまり考えなくなった。そして、現代のWeb開発では、Railsphpなどが廃れてきて、小学生のころ触っていたJavascriptが隆盛しているということに、なにか運命的なものを感じた。離れていたと思っていた道が、思わぬところでつながったのである。しかもそれが、弟を経由して知ったというところにもまた、何かを感じた。

 

小中学生のころ、同じ市内ではあるが、車でしか行けないような小中学校に越境入学していた。当時はふつうの公立ではかなりのレアケースで、わたしの知っている限り、同じ学年ではわたししかいなかった。いまでも「地元」というと、わたしにとっては、越境先の祖父母の家がある校区である。

 

しかしながら、土日は「地元」から離れて父母の家にいたので、同級生と会うことはなかった。それだけではなく、「地元」は商店街のある、下町的な地域なので、時計屋の子や日本料理の店の子などが多く、グローバルなサラリーマン家庭であるわたしはレアだった。当時はそんなこと考えたこともなかったが、今から思えば、なんとなく「彼ら」と仲良くしていても、心の底からつながった感じがしなかったのは、越境による距離的な断絶と、親の価値観の違いがあったのだと思う。それが、わたしの人格形成に強く影響を及ぼしたのだと最近は考えている。

 

そんななかで、わたしにとって、土日の「友達」は、PCと弟2人だった。それを今になって懐かしい気持ちで思い出した。弟2人とは部屋で遊び、PCでWebにアクセスし、車が運転できない少年が、人知れず世界中の見知らぬ人へとつながる興奮があった。それに、HTMLやjsに秘密のコード(といっても無害なメッセージなど)を埋め込むことで、それがわかる人だけが見ているという、一種の連帯感への陶酔があった。きっと誰がそれを見ている。今思えば、それがわたしの孤独を癒す方法だったのだ。

 

同様にして、わたしは海が好きだ。海はWebと同じように、世界につながっているからである。