午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

まなざしの地獄

今日も今日とてまったくやる気がしなかった。それでも、事前に研究対象地の社会福祉協議会のシンポジウムをオンラインで申し込んでいたので、Zoomで参加した。「引きこもり」の人や、「生きづらさ」を抱えた人の支援団体の話だったが、いろいろ考えさせられた。わたしも、なかばその支援の対象者ではないのかという想いも抱えていたからだ。

 

話を聞いていて、結局、「引きこもり」の人や、「生きづらさ」を抱えている人を苦しめているのは、「まなざし」という一言で説明できるのではないかと考えた。引きこもりの人を引きこもらせているのは、引きこもりや無業者に対する否定的な世間のまなざしである。あるいは、不安定就労している若者を苦しめているのも、同様のものではないかと思った。

 

シンポジウムで発表していた団体は「居場所づくり」に腐心していたが、「居場所」とは、結局のところ、「否定的なまなざしが中和される場所」のことではないかと思った。なぜなら、ある場所をわざわざ「居場所」と認識するためには、そもそも「居場所」でない場所があるということであり、その「居場所ではない場所」は、本人にとって否定的なまなざしの地獄で針のむしろということなのだろう。そこから逃れられる「居場所」という場所は、否定的なまなざしから逃れ、ありのままで好きなことをできる場所、あるいは肯定される場所、ということなのだと思う。

 

ところで、そのシンポジウムを聞いて「まなざし」という単語が思い浮かんですぐに、Kindle見田宗介という最近亡くなった社会学者の『まなざしの地獄』という短い本を読んだ。そこには、永山則夫という東北の貧しい地域から上京し、連続射殺事件をおこした人間について書かれていた。

 

永山は貧困のなかで育ち、そこから逃れるために貧しい田舎とは対極にある東京へ逃れた。しかし東京は彼の思い描いたような場所ではなく、彼は彼が嫌っていた「貧しい田舎出身」というレッテルを貼られ続け、そこから逃れることができなかった。彼は、否定的なまなざしを操作し、肯定的なまなざしを自らに向けさせるために、髪の毛をセットし、良い服を(盗んだりして手に入れた上で)着て、明治学院大学の学生という偽物の名刺を作る。しかしそうした演技を見田は「演技の陥穽」と指摘し、まなざしを操作するために都会が気に入るような形に寄せていくこともまた、自分自身からの疎外を生み出すと指摘している。見田は、そうした否定的な「まなざし」を注ぎ続ける世間のなかに社会の実在を見て、それを分析している。そのまなざしは単なる永山の妄想ではなく、現実のなかに確実に存在すると見田は指摘している。

 

翻って、わたし自身を生きづらくさせていたものもまた、こうした否定的なまなざしであった。それが、わたしの存在そのものを全否定するような強烈な劣等コンプレックスとつながっていたのだ。今日のシンポジウムにアクセスした瞬間、わたしは逃げたくなった。劣等感に押しつぶされそうになったからである。しかし、その劣等感は、わたしのなかの「世間」をそのシンポジウムの出席者(一度もあったこともないし、アクセスした瞬間は誰が参加しているのかさえ知らなかった。知らなかったからこそ恐怖感が増したのだろう)に過大に投影したに過ぎないことに気が付き、その場では徐々に収まっていった。しかし、そのときに感じた「見られている」という感覚は、強烈な恐怖を引き起こした。感情は、理性よりもはるかに強力でやっかいだ。わたしは逃げ出したくて仕方がなかった。自罰感情すら感じてしまった。まるで虐待された子どもが、少し手を近づけるだけで身構えるようにに。わたしは、「まなざし」に殴られ続けてきた。だから他者の視線が怖いのである。

 

ここで思い出したのは、原始仏教の経典に書かれていた、蛇の毒の例えだ。自分が悪いことをしたことがなく、傷がなければ、たとえ悪に触れたとしても、毒はまわらない。わたしは痩せているのだが、誰かがわたしに向かって「おいこのクソデブ」と言っても、わたしはほとんど気がつかないだろう。わたしは自分が肥満であることに悩んでいないし、どう転んでも肥満には分類されないという絶対的な確信があるからである。自分の内側にある自分自身への否定的なまなざしがなければ、わたしは世間から否定的なまなざしを向けられても、なにも思わないだろう。もし村八分でもされたら、自分を責めるのではなく、闘うはずである。

 

わたしに否定的なまなざしを、昼も夜も、24時間営業で注ぎ続けているのは誰か?それは、わたし自身である。わたし自身が、常にわたしを有罪と裁き続ける。否定的なまなざしの強固な呪いに、わたしはかかっていたのであった。かつて恋人に、「自分の心について知覚したとき、わたしは自分自身の心であるにもかかわらず、部屋の隅の方にいて、中心には巨大な黒い球体があり、それが日々膨張し、わたしは部屋で圧迫死しそうになっている。わたしは、わたしの心の主人ではない。しかし、黒い球体の正体がわからない」と言った。

 

そのときはわらなかったが、オーストラリアから帰国して、成田空港から電車に乗ったまさにそのときに、わたしはその正体を了解した。電車のなかで、誰もが無言で携帯をいじったりしている。わたしは、誰にも物理的に見られていないにも関わらず、心理的に、じろじろと品定めされるような巨大な目で見られている感じが強くしたのだ。

 

否定的なまなざしは、実際に存在する。今日も、高齢世代の引きこもりに対する偏見について語られていたが、それが証左だろう。しかし、そこで、支援団体の人がおもしろいことを言っていた。最初は引きこもりは怠けだと否定していた高齢者だったが、実際に施設のなかで関わっていくなかで、「あんな好青年をひきこもりと呼んでお前は差別するのか」と怒ったという事例があったそうだ。これは、「世間」と支援団体のなかでコミュニケーションが起きて、その結果「世間」の理解やまなざしが変化した、ということだと思う。そうか、「世間」は永遠普遍のものではなく、コミュニケーションによって変容していくものなのだ、とわたしは衝撃を受けた。

 

わたしの自己肯定感を高めるには、「わたしはできる」と唱えることではないと思う。ものすごいマイナスがあるなかで、つけ焼き刃で人工的にプラスを作ってみたところで、すぐにマイナスに引き込まれてしまう。しかも、そのプラスは嘘であるのだから、否認というよくないメカニズムがはいって余計によくない方向へ働く。そうではなく、自己肯定感を高めるには、マイナスをゼロにすること、自らの内側にあり、自らと敵対している超自我の呪いを解体することである。抽象的で実存的な感覚としてはよくわからなかった「超自我」の正体が、日本に帰ってきたときに感じたカウンターカルチャーショックにより、「世間」であることがわかった。そして、わたしの場合、その「世間」をもっとも感じさせる経路が、超自我を形成するときの重要な存在である、実の親からのまなざしである。わたしの場合、親は非の打ち所がないくらい「世間」的には立派な存在であり、親は世間を良くも悪くも媒介している存在である。その親との情動的な結びつきが、そのまま「世間」という審級との情動的な結びつきにつながってしまっているのだと推測される。

 

「世間」が客観的実在として存在することについては、もうどうしようもない。わたしにできるのは、自らのなかで内面化してしまった「世間」とどう対峙するかである。そのヒントは、先ほどの支援団体と高齢者のコミュニケーションのような、コミュニケーションであると思う。もしかしたら、より自分の身体に合うようなペルソナ、あるいは自己の統合的理解=アイデンティティを作り直す必要があるのかもしれないし、別の方法があるのかもしれない。ただ、「投影」という防衛規制を知った後のわたしは、それをカウンセラーの先生とともに検討し、別の形へと変えていくことができる(余談だが、基本的な防衛規制については、中学校で教えた方がいいと思う。「投影」という防衛規制を知っているだけで、どれだけの無用な争いがなくなるだろうか)。臨在感的把握をしてしまっている「世間」を、より小さな、扱える程度に小さくすることもひとつの方法かもしれない。

 

わたしはカウンセリングのはじめの方から、自分が影響を受けた本として、先生にいろいろな本を紹介していた。なぜ本を読むのかと言われて、わたしは困惑した。本は、わたしにとっての言葉だった。その本自体が、メタレベルで文脈的な意味を持っている。そして、「それを読んででほしい」という何気ないわたしの発言は、一種の試し行為でもあったのかもしれない。おそらくわたしは、無理解なまなざしに強い怒りを無意識下で感じていた。「読んでみろよ」と先生を(無意識に)挑発していたのかもしれない。先生は、それらの本のいくつかを実際に読んできてくれた。それは、わたしという人間にとって、鳥居をくぐられたような象徴的な意味があった。そこから、わたしのカウンセリングは進んでいった。

 

1番最初にセッションをしたとき、先生には「自分のことを鏡として使ってほしい」と言われた。言われたとき、その意味がよくわからなかった。むしろ、先生も色がついている人間である以上、鏡であるはずがないし、そうあるべきではない、と内心強く反発した。しかしながら、「投影」という防衛規制を知っている今(もう最初のときから1年以上経っている)、やはりそれは先生という実在であると同時に、自分自身の巨大な投影として、わたしが対峙せざるを得ない。「わたしを理解してくれない」のは、まさしく「わたし自身」で「も」あった。これからの課題は、自分自身の内側にある「世間」とどうコミュニケートしていくかだろう。そしてその先には、自分自身の一部分ではなく全存在を肯定的に自分が理解することがあり、それこそが、カウンセリングの究極的な目標地点なのである。

 

さきほど、7年前の自分のブログ記事を読み返して、自分が10年前にヨーロッパを一人旅していたころ、わたしは人間の全体性の回復、というテーマに強い強い関心を寄せていたことを思い出した。アダムスミスの国富論に反発し、美術家ジョン・ラスキンやアーツアンドクラフツ運動、そして岡本太郎に好意を寄せた。ネジを分業で作ることで国富は飛躍的に増大するだろうが、ネジのある1パーツを作るに過ぎなくなった人間とはどんな存在であるか。こうした強い問題意識を持っていて、その後学卒後に会社を半年で辞めたのは必然だったと思う。

 

かつて、学部のときに憧れた友人は、「マイナスをプラスにするのは芸術しかない」と熱っぽく語った。わたしは、失業経験が現在の主観的健康観にマイナスを及ぼす、というような統計的な分析結果を普遍的事実とすり替えて理解してしまっていた。しかし、その事実も、たとえば「カウンセリング経験の有無」といった交互作用(掛け算)を入れれば、違う結果になるかもしれない。マイナスにマイナスをかけてプラスにする。強烈なマイナスに(-1)をかけたら、それは強烈なプラスへと変貌する。

 

自分の全存在を受容する。「存在しているだけで、価値がある」。未来はその先にあるのかもしれない。