午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

軽さから重さへ

12月になった。近頃は急に寒くなった。思えば、2023年は挫折と幻滅の連続だった。一番大きな幻滅は、自分自身に対してだ。それでも、わたしは生き抜いていかなければならない。

 

ゼミ終わりに、ひさびさに指導教員の先生と一対一で話した。就職の話になって、わたしは、(たまには)社会学専攻らしくマックス・ウェーバーの『職業としての学問』を引きながら、

 

「アカデミアといえども、政治なんですね。自分は今まで、アカデミアに夢をみすぎていました。みんなで純粋に真理を追い求めているような、そんな営みだと思っていました」と言った。

 

先生は「そうだ。そこで、道は2つに分かれる。そこで辞めるのか、そうとわかった上でなお進むのか。そこが分かれ道だ。ウェーバーは後者の人だった」と言った。そういわれたとき、わたしはようやく覚悟した。わたし自身も、後者の道を歩もうと。アカデミアに限らず、なんらかの職に就く、あるいは社会で生き抜くために、夢から覚めた上でもなお、それをやっていこうと。

 

突然、心の中に、"Es muss sein!"という言葉が浮かんだ。ベートーベンが、死ぬ間際に作曲した弦楽四重奏の余白に書き込んだ言葉だ。"Muss es sein?""Es muss sein!"。「そうであらなければならないのか?」「そうであらなければならない!」という意味である。

 

この言葉を、わたしは、愛読書であるミラン・クンデラの小説『存在の耐えられない軽さ』から知った。小説によると、ベートーベンがこの言葉を発したのは、もともとは友人が楽譜を見せてという要求をしたのにたいして、「金を払わなければならない!そうでなければならない!」というような、軽い冗談だったらしい。それが、いつのまにか、作曲することを通して、最後には運命的な重さを背負うことになったという。

 

この"Es muss sein!"という言葉が頭に浮かんだ瞬間、わたしが高校卒業後東京の大学に通い、礼文島に行き、そして名古屋を経て大阪に来て恋人に出会った人生の経路が、今に至る経路のただ1通りしかないということにたいして、「そうでなければならない!」と強く直感した。それは、無数の偶然が自分自身を交点として、ひとつの必然として立ち現れてくるような、奇妙な感覚だった。

 

受動的で、ともすれば被害者的であった己の人生が、実は自分自身の主体的な選択の連続であった。その気づきを得た瞬間、自分自身の人生にたいする解釈が180度ひっくりかえった。その思考のプロセスが、"Es muss sein!"の一言に集約されている。それがとても感動的だった(それは完全にわたしの頭の中の出来事だったので、誰かと喜びを共有できなかったのが残念だ)。それに、わたしはこの言葉から、わたしがいままで散々抑圧してきた、フロイト精神分析の理論における"es(本能に近い欲求)"が、"muss"をとおして"sein"、すなわち「存在、あるいはわたし自身の現れ」につながったことを連想して感動した。

 

今までは、過去の別の選択肢や過ぎ去った可能性にいつも後ろ髪を引かれ、後悔ばかりしていた。しかし、そんな可能性は蜃気楼のようなもので、実際には決して実現しない。それがはっきりとわかった。なぜなら、わたしは、たとえその時点に巻き戻したとしても、それを選択しないからだ。

 

人生をもういっかいやり直したところで、結局は同じ選択をする。もしも、人生というものが、自分自身の選択によって結局は構築されていくものだとしたら、やはりもう一度やり直したところで、結局同じことになるだろう。そして、実現するのは、今わたしが生きてきた、たった1通りの人生でしかない。「もしも」は存在しないのだ。

 

"Es muss sein!"という言葉を思い出してから、わたしは小説の主人公トマーシュの生き方に自分を重ねた。浮気症の「軽い」トマーシュは、「軽さ」に憧れつつも、結局テレザというひとりの女性とともに生きる「重さ」を選んだ。わたしもまた、(トマーシュのように浮気症ではまったくないが)「軽さ」を求めていた20代から、「重さ」を求める30代へとシフトチェンジしてくことになる。なぜなら、わたしは結局のところ、「存在の絶えられない軽さ」に文字通り絶えられそうにないからだ。そういう確信がやっと持てた。

 

仕事に関しても、今まで過度に防衛的で、搾取を強く警戒していたが、今の社会の仕組みを認めた上で、「損して得取れ」と自らに言い聞かせ、目の前の仕事をきちんとこなすことを誓った。

 

ようやく、わたしは生き抜くことに対する覚悟を決めた。