午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

選択と縁

島にいた頃からか、選択と縁の対立について時折考えている。

 

22歳、学部生のとき、就活で「ご縁があったら」という言葉を頻繁に聞いた。私はその言葉が好きではなかった。「ご縁」という言葉は、なにかを選択できなかったこと、具体的に言えば望み通りの会社に入れなかったことをごまかしているような感じがしたからだ。あるいは、関係を持つことを押し付けられている気がした。力がある人間こそが選択できる。選択こそが自由である。当時は内心、そう考えていたと思う。

 

しかしながら、北海道の離島で2年間、冬は毎日雪かきをして、厳しい自然のなかで生きてみて、その考えは180度とまではいかなくとも、120度くらいは変化した。島の制約の多い生活のなかで、都会が選択肢にあふれていたこと、都会だから選択肢があるのだということを知った。わたしが生まれ育った都会では選択が当たり前のようにできたが、田舎ではそもそも選択の幅がかなり限られていた。だが意外なことに、選択肢がないというのは必ずしも不幸なことではなかった。

 

なぜだろうか。選択をしたら、必ずなんらかの形で選択をした責任を負わなければならない。なにかを選択するとは、別のなにかを選択しないということだ。選択の連続は、責任を負うことの連続である。選択するとは、能動的な行為である。

 

しかし、存在の根源をたどれば、わたしたちは、そもそも生まれたことを選択していない。わたしは、物心ついたときにはもうすでに存在していたのである。それが、都会で生きていくなかで、なにかを選択するという都会人的な行動様式がおそらく後天的に身体に染み込み、あたかも人生すら選択可能であるように錯覚してしまう。それで、苦しくなる。選択しなかったことへの苦しみ、選択したことへの苦しみ、選択できなかったことへの苦しみ。そんなことをすべて選択した主体である「個人」が引き受ける構造になっている。わたしは、きっとその能動態的な選択の構造が肌に合わなかったのだと思う。

 

20代も後半になった今、人生の有限性をより強く感じてきている。自分は地域づくりという(あまり興味のない)研究を大阪でしているが、これも選択というよりは縁なのかと思う。自分が研究を選んだというよりは、自分が研究に選ばれた、あるいは地域研究に導かれて人生が開けているような感覚だ。

 

たまたま、最初に入った会社がその時期地方創生に噛んでいた。たまたま、会社をやめたときに友人が地域おこし協力隊を勧めてくれた。自分が、島に「ビビッときて」移住した。そして今、地域の研究をしている。それは、自分が能動態的に選んでいると言われればたしかにそうだし、受動態的に選ばれていると言われてもそうだ。それは、あたかも自分を場にして展開する感覚、國分先生の言葉を借りれば、「中動態」的な感覚だ。短い人生で、出会う人、いける場所、やれることは極めて限られている。そんな短い時間のなかで出会ったというだけで、なにかしら意味のあるもののように思えてくる。無限の可能性などない。あるいは、無限の可能性にモラトリアム的にとどまっていたくはない。

 

「ご縁だから」というのは、就活をした自分が図らずも見抜いて嫌悪したように、一種の諦めである。しかしそれは、前向きな諦めである。諦めたことで広がっていく未来がある。もちろん、縁は現状肯定的であるので、その現状が不当であると感じたら、選択することも大切だ。選択か縁かどちらか一方ではなく、両者をともに持つことが大切なのだと思う(それが葛藤や苦悩を引き起こすのだが)。

 

人生は限られている。わたしは、神に祈るような感覚で、ひとつひとつ、ひとりひとりを大切にこれからもやっていきたいと思う。