午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

可能性を狭める

引っ越してから1ヶ月が経った。その間いろいろありながらも(なにもないということがありながらも)なんとか今日まで生きている。

 

今日、研究者養成事業を所管する国の外郭団体から大学を通して、自分の個人研究につく予算の交付内定の知らせが来た。付いた予算は3年間で310万円だった。その少なくない額に、戦慄した。コロナ禍で苦しんでいる人たちがたくさんいる中で、自分の研究なんかにこんな額を配分して良いのか。そう思った。しかし、ここはやらなければならないと思った。普段政府批判や社会批判は他人事のようにするけれども、自分はどうなのかと。普段自分だったらもっとよい税金の使い方ができると友人たちに豪語していたが、それは本当なのかと。この310万円という血税を、絶対に無駄にしたくない。

 

私は、決意した。研究者になることをではない。研究者以外のものになろうとすることをとりあえずやめることを決意した。私は18歳のときに物理の一般教養の授業で微分方程式の初期値敏捷性という概念を知ってから、今が人生における初期値にあたると考えて、いろいろなことに手を出してきた。小説を書いたり、ブログを書いてみたり、いろいろなことを試して可能性を広げようとした。

 

今必要なことは、その逆である。いつまでも、たくさんの可能性という幻影に乗っかっているわけにはいかない。可能性を広げることも大事だが、可能性を閉じることもまた、大事だと思う。研究については、自分が望む以上に社会(国や地方自治体(礼文島での経験)、企業(新卒で入った会社がデータサイエンスの仕事を割り当てた))が私に対して研究者になることを望んでいるようだった。

 

自分は就活の時期から、他の人が当たり前のようにして乗り越えていく「仕事」というものが一体何かわからず、考え続けた。そして、「仕事」というのは交換であるという捉え方をした。交換する相手はもちろんその仕事に対して金を払う人だが、どうせなら公共的な、よりたくさんの人にとって利益のあるような、そして自らの良心に反しないようなものをやりたいと思った。研究という仕事は、ばっちりその要件をクリアしている。

 

前途多難である。これからも何度もどん底を見ると思う。しかし、それでもやっていくしかない。