午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

考え事

礼文島から帰還して、数週間が経った。

 

大学院の授業までにはまだ間がある。その間、近所を散歩しながら自身の生き方等について考えた。思いついたことを、論理性を無視してとりあえず書いてみる。

 

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自分は変わる。社会も変わる。

しかし、自分の変化はある程度コントロールできるのに対して、社会の変化の方はほとんどなにもできない。

 

ある時代のある時点で、時代あるいは社会が個人に要求するものは、別の時代の別の時点ではまったく要求されなかったりする。

 

個人を巡る社会的な立ち位置や人間関係などの制約はあれども、個人の生き方、特に個人の意識というものは、基本的には個人のコントロールの範囲にある。この認識こそが、近代の基礎であり、守らなければならない「自由」であると思う。

 

世の中には、規範的意識への志向が強い人間と、創造的なものへの志向が強い人間の2タイプが存在すると考えている。あるいは、この2つの傾向は個人の中にもあるだろう。

 

規範的人間は、昨日のものを今日へ、今日のものを明日へと繋ぐ。創造的人間は、どこからともなく持ってきたアイデアを用いて世界を変革する。規範的人間と創造的人間は、肌感覚では9:1程度であり、両方が手を携えて社会を維持しているのだろう。

 

私自身を鑑みたとき、自身が望んでいるのは「変化」の方である。自身を突き動かしている衝動は知的好奇心であり、それこそが人類を進歩へと導いた秘密の鍵である。

 

遺伝子操作、人工的な生命など、技術は不可逆である。一度知ってしまえば、知らなかったことにはできない。

 

社会、あるいは行政が住民に提供できるものは、最大公約数的なものである。そこでは政策の対象者は「子育て世代」「年収200万円以下の世帯」「障害者」などの大きなカテゴリーで理解されている。よって、統計的には外れ値に対応するような人間は、どうしても手が回らない。

 

しかし、4Lサイズの人間が、Sサイズの服を我慢して着る必要はないと思う。

そんな服は破ってしまって、自分に合う服を作れば良いのだ。