「年のはじめに災あり。艱難汝を玉にす」
正月に、熱田神宮で2年連続引いたおみくじの言葉だ。
その言葉通り、年初早々精神的にひどく落ち込み、研究は行き詰まり、散々だった。
しかし、それはなるべくしてなったのだと今は思う。
非常に苦しかったが、今は少しだけ霧が晴れてきたような感じがする。
大学院の修士課程に入って早々、やりたい研究があって入ったにも関わらず、テーマを無難なものに変えようとした。
テーマが決まらない日々が10ヶ月ほど続いたものの、結局は院に提出した研究計画書通りの研究をすることにした。
決まった瞬間、自分は実はテーマ設定に悩んでいたのではなくて、その覚悟を固めるのに一年かかっていたのだと思った。
ずっと、学位論文を書くことが夢だった。
学部時代にゼミ配属の選考を落とされ、卒論を書く機会がなかったり、院に入るまで紆余曲折があったこともあり、「夢」が膨らんでいた。
いわば、きれいで真っ白なキャンバスに何か色(あるいは字)を書き込むことにひどく躊躇していたのだ。
夢に一歩踏み入れれば、それは現実になるわけだが、足をつけて進めていくうちに、自分がどの程度までできるのかもわかってしまう。それを恐れていたのだ。
試験を受ければ、受かるか落ちたかの結果が出てしまうが、受けなければ、「受ければ受かっていたはずだ」と思うことができる。それに安住していた。
覚悟が決まって、腰を据えて研究をしていても、壁にはどんどんぶち当たる。
しかし、壁を超える快感を知ってからは、壁がくるのが楽しみにすらなっている自分に気が付いた。
今は、進路という重い課題がのしかかる。こちらに関しては、まだ「覚悟」は固まっていない。
大学にずっといると、研究をすることと、アカポスにつくことが、無意識にイコールで結ばれてしまう。
しかし、大型の実験器具や計算機に頼らない文系の研究の場合は特に、在野でも論文は書けるはずだ。
いろいろな研究会(およびその飲み会)で他の人たちと話していると、日本で博士課程 -> ポスドク -> 講師 -> 助教 -> 准教授 -> 教授 と果てしなく不安定で長い(そして矢印の左から右へとうつる確率は低くなっていく)キャリアが、自分にとって合っているようには思えない気がしている。
かといって、どこへ行けばよいのかはわからない。
先ほどのテーマ設定の例のように、覚悟を持つのは最後の最後、これ以上逃げられないときで良いと思う。それまでは、情報収集、思考実験、小さい試行を繰り返せば良いと思う。
自分が生きる覚悟を固めたのは、アフリカや礼文島など、どこにいっても「自分」や「社会」からは逃げられないと気が付いたときだった。
そして矛盾しているように聞こえるかもしれないが、その「覚悟」はいつだって捨てても良いと思う。
どんなに立派で精巧な理論仮説でも、現実を反映していなければ捨てるべきである。
そうやって、なんとか生きていくしか方法はない。