日常生活を、ほんの数秒だけ一時停止してみた。
何もしない。何も聞かない。
ただ、なんとなくベッドの上に置かれたスマートフォンに入る連絡を待つ。
別に、ほとんど誰にも連絡してない。
誰かからの連絡はポワソン分布に近似的に従う確率変数にすぎない。
1秒1秒自分がしたことに、内外から理由を求められる。
我々は、理由を求められすぎやしないか。
なぜ、はじめに踏み出したのが左足ではなくて右足だったのか。
そんなこと、別に理由はない。
合理性を求められるのに疲れてしまった。
今日は歩く。
別に、理由はない。
(と、言いたいが、本当は大学の用事があるからだ。そんなもんだ)