午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

地獄のすぐとなりに、光はあるのかもしれない。

 

ひさびさに、きらきらしたものを見た。

そしてそれは、とてつもない苦しみのすぐ隣にあった。

 

指導教官が代表者である研究会の会議で、彼の研究に懐疑的な副指導の先生が彼にボロクソに言っていた。当初、私の考え方もどちらかといえば副指導の先生に近かったため、指導教官に失望していた。

 

副指導の先生が帰ったあとの飲み会で、コアメンバーのひとりが研究への想いを語っていた。その教授は、名古屋の大学にもう20年もいるから、なんでもいいからなんとかしてお返ししたいという気持ちを持っていた。私は、彼のことを気難しいだけの変な人だと思っていたが、その研究の内容はともかく、ああ、熱い人なんだ、と意外に思った。

 

実は会議中から指摘したいと思っていた彼らの研究設計の欠陥があったのだが、私以外はみな教授だったので遠慮していた。飲み会の席で、その一部を言ったところ、案外他の先生で私の意見と似たようなことを思っていた人がいたらしく、それに応える形で私はさらにいくつか(主にネットワーク論の視点から)付け加えた。

 

そして今日、今週末の学会発表のマテリアルについて指導教官と話し合っていたが、話は昨日の研究会のことになった。その研究会は、「見えない格差」をテーマに行われていた。私は、今まで家で鬱屈と「どうすれば社会をよくできるか」と考えていたが、その考えを今までごく親しい同年代の友人をのぞいて誰にも話していなかった。ふとそのことについて指導教官に漏らしたところ、突然「ベーシックインカムには賛成か?」と聞かれた。そこから私はフリードマンハイエク、あるいはアレント、その他社会思想家や政治哲学者を引き合いにだしながら自分の意見を述べた。彼はいささか驚いていた。というのも、彼は私のことを理系かぶれの統計分析屋、くらいにしか思っていなかったので、私がマルクスの『経済学・哲学草稿』まで読んでいることに驚いたのだ。逆に私も、彼の研究にかける想いや意志が側から見えるように弱々しいものではないのだと初めて気が付いた。私は、「今まで自分はどうすれば社会がよくなるのか、そればかり考えていた」と言った。彼は、「実は昨日君が帰った後、コアメンバーが君のことを気に入ったらしく、君も議論に加えようという話をしていた」と言った。修論を早く書き上げて手伝ってくれ、研究費は出せるから、と。話し合いは3時間に及んだ。

 

自分が今後彼らの研究会にどこまでコミットするかはわからない。しかし少なくとも彼らの「想い」あるいは「決意」のようなものが垣間みえて、私は悪い気はしなかった。前回のブログ記事で、長期的に続けることがこのゲームの成功戦略なのだと悟ったが、そのために必要なもの、それは打算や賢い立ち回りではなく、案外愚直な覚悟や意志なのかもしれない。

 

私は、今は自分自身に賭けてみる気になっていた。どこまで行けるか。やってやろうじゃないか。決意をすれば、ひらけてくる。岡本太郎の言葉を今は信じたい。合理性を超えたところに変化はある。