午後のまどろみ

らくがき未満 / less than sketches

合理的な選択を超えて

 どうすれば、パレート最適ではないナッシュ均衡をぶち破れるかと考えて、一つの結論に達した。答えは、バカになることである。

 

「賢い」というのは、ふつうは良いことであるとされているが、賢い人は、ある一定の範囲で収まってしまうと思う。なぜなら、「賢い人」はある状況X1のもとでの選択肢a1が見えてしまい、今やっていることを続けることが最善ではないとさっさと判断してしまい、見切りをつけるからだ。自分の「才能T」という可能性の低いものにベットし続けるのはどう考えても合理的ではない。どう考えたってリターンの期待値は低い。

 

しかし、ひとつのことを続けていれば、それなりに蓄積されてゆく。すなわち、才能(あるいは人的資本)というものは、ふつうは時間をかければ蓄積していくものだ。そして蓄積は、「一寸先は闇」の苦しみの先にある。その苦しみの間に、「賢い人」はどんどん離脱していくだろう。合理的ではないからだ。

 

しかし、その「合理性」による予測は2つの場合、崩れる可能性がある。ひとつは才能Tが時間をかけることで予測を超えて大きく成長し、状況X1を変えてしまう場合だ。t時点の才能Ttは、セレンディピティに依存する確率変数である。これは重要なポイントである。もうひとつは、何もしなくても状況X1がX2に遷移する場合だ。この場合、新しい前提条件X2のもとではa1が最善であるとはもはや言えなくなるかもしれない。

 

このゲームに勝つ方法、それは続けることなのだ。つまり、「やり抜く力」が大切なのである。

 

考えるな、バカになれ。