午後のまどろみ

らくがき未満 / less than sketches

音色

自分が誰かわからなくなり、ベッドの上で寝転んでいた。下の階に降りて、調律の狂ったピアノに向き合った。

 

自分は、確かにそこにいた。自分の音色の通奏低音は、深い悲しみなのだと再認識した。弾きながら、誰がこの悲しみを理解できる?と思った。自分でさえも理解できない。「悲しみ」なんて3文字にしてしまうと情報が消え失せてしまうが、同じ「悲しみ」にも無限の深さと音色の配列がある。その配列の違いが、個人個人の持つ「悲しみ」の差異なのだろう。心の深い部分に蓋をして、毎日なんとなくやり過ごしていることに改めて気が付いた。だいたい、他人も含めてそんな「音」ばかり聞き取っていたら、身が持たない。同時に、自分がピアノという手軽な表現方法を持っていることに救われた思いがした。

 

ピアノを弾きながら、ピアノの先生をはじめとして、自分が今まで尊敬してきた人々について想いを巡らせた。彼らには共通点があるように思えた。それは、各々が、自分の才能に向き合って生きてきたように私の目には映ったことだった。つまり、自分が誰なのかをよく知っている人々なのだ(と私には思えた)。そして、自分はあるのかないのかよくわからない、自分の「才能」との距離に苦しんでいるのだ、と気が付いた。才能に任せてめちゃめちゃに動き回った人生だったが、その「才能がある」という前提は果たして正しいのだろうか?というのが自分のアイデンティティ・クライシスの根源にあるのだと思った。

 

とにかく、今は何もやる気がしない。