午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

かくれんぼの終わり

暑すぎる夏が、やっと終わりつつある。秋の気配を感じている。

 

この夏は、研究はあまり進んでいないが、内的な作業はかなり進んだ。自分の生まれから現在までの年表を書くことで、その時の気持ちを救い出していた。この作業は、ネットで見たわけでもなく、心理士の先生に指示されたわけではなく、自分で考え出し、自分で実行した。この作業をとおしてわかったのは、いままで、自分は自分の悪いところばかり探していたことだ。そのときそのときの自分を救い出すことで、自分を公平に見ることができる。悪いところももちろんあるが、高が知れているし。それ以上にいいところもある。それに気がつけてよかった。

 

今日は、農村で行ったインタビュー調査時につけたフィールドワークの記録を整理していた。わたしは、4月に行ったそのフィールドワークの記録をずっと放置していた。心理的抵抗があったからだ。それはなにかといえば、わたしがインフォーマントから受け取った善意を直視するのが、恥ずかしかったからだ。「自分はこんな善意を受け取る資格はない。自分は悪い子だ」とずっと思ってしまっていた。しかし、年表によって自分を見つめ直した今、善意もようやく素直に受け入れつつある。

 

いってみるならば、自分はずっと、自分に対してかくれんぼをしていた。自分に直視されるのがこわくて、あるいは人見知りを自分自身にすら発揮して、自分が見るたびに、自分は隠れていた。だから、「自分」という存在を感じることができずに、その延長である他者や世界との対象恒常性も育めないままだった。

 

年表や、たまに日記をつけるようになって、自分が確かに存在していることを確認しつつある。それに、今までは母子関係が密着していたが、カウンセリングにより母子分離が進むと、今度は「父なるもの」、二者関係から三者関係という公平な審級の存在が視界に入り始めてきた。いままでは、自分と母親的世界の二者関係しかなかった。世界はあくまで母親なるものの延長だったので、自分が何かをすれば母親=世界に大きな変化が起こる、という世界にとらえられてきた。しかし、第三者という視点が入ることで、自分と母親的世界は相対化され、その奥に本当の世界が広がっていることがわかった。本当の世界は、自分がほとんど影響を与えない、確実に存在する世界だ。わたしは、自分と投影だけの息苦しい世界から解放された。

 

「父親的なもの」、それは今まで「超自我」という抽象的な概念でうっすらとらえられていたのみであった。その超自我については、いままでは超自我に守られていたが、もう、今の自分は、超自我に守られる必要がないくらいに成長したのではないか、そう思った。

 

年表その他をとおして、現実の父親、そして象徴的な「父親」と向き合った。小さい時の記憶にあるわたしの父親は、頭も良く、スポーツもできて、頼もしかった。しかしながら、小中学生の頃に海外に長期間単身赴任してしまった。父親はだいぶたってから戻ってきたが、わたしは幼少期の「厳格で完璧な父親」と、「帰国してくたびれたおじさんになっている父親」の折り合いがつけられなかった。

 

強い去勢不安や「〜べき」という命令に長年怯えていたのは、この完璧な父親のイメージのせいではないかと思った。それがわかった今、わたしがするべきことは、父親とは違う人間であることを認めて、自分の人生を歩んでいくということである。なぜなら、はじめから、父親とわたしは違う人間だからだ。父親の真似をしたところで、うまくいくはずがない。

 

いまするべきことは、これからなにか新しいことをはじめることよりも、自分自身を深いレベルで認めることだ。それが、わたしが歩んでいく道だ。