午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

膜のようなもの

オーストラリアから帰ってきて、はやくも1週間が経った。1週間、あっという間だった。なにをやっていたかは、覚えていない。

 

オーストラリアにひとりで行って学会発表したことで、ある意味自分自身を取り戻した。自分の身体と少しの金、そしてパスポートだけを持っていれば生き延びることができる。そうしたサバイバルな状況で、ひさびさに自分のアドレナリンが上昇し、生きている興奮を得られることができた。自己決定できることの歓びを感じ、自己責任の気楽さを知った。

 

オーストラリアに行くと、日本社会を覆っている閉塞感や貧乏臭い感じ、そして自我の確立を妨げるような怪物から離れることができ、離れることによってそのような存在を知覚することができた。わたしは、日本で、ヌメヌメした怪物に囚われていたのである。

 

ところで、この記事を書こうとした直接のきっかけは、さきほど、軍政にもどったミャンマーで、若い日本人ジャーナリストが拘束されたヤフーニュースの記事に、「自己責任だ」と非難するコメントが殺到していたのを見たことである。わたしは、かねてよりこの「自己責任」という言葉が嫌いだった。ほぼほぼ非難する文脈でしかみたことがない。しかしながら、オーストラリアで感じたのは、自己責任の素晴らしさである。日本で聞く「自己責任」と、わたしがオーストラリアで感じた「自己責任」の間には、かなりのギャップがある。

 

ミャンマーで拘束された日本人に「自己責任で行ったのだから、国は救済する必要はない。身代金支払いなどで迷惑をかけるな」と非難する人は、いったい何を非難しているのだろう?表面的には、「そういう危ないところに行ってはいけない」という集団の規範を破ったから、集団(日本政府)には保護はされるのはおかしい、という理屈である。だが、邦人保護は国の義務である。

 

わたしは、彼らが本当に非難しているのは、その人が自我をもったことではないか、と思う。つまり、私たちは集団の窮屈な規範に従って我慢している代償として保護されているのに、それを破って保護されるとは何事だ、ということだ。自己決定をせずに集団の膜のなかに入っている人たちが、その膜を突き破った人を妬んでいるのである。そして、その人に過剰な代償を払わせることで、膜に入った人たちの心の平穏は保たれる。膜に入った人たちの人生は、すべて「自己責任」の対極、「自己無責任」にある。自己無責任とは、自分の人生の主導権を放棄した代わりに、集団によって自分の生を補償される(と信じ込む)態度のことである。

 

日本は、自我を持つことを「わがまま」としてよしとせず、マイナスのサンクション(賞罰)を強力に与える文化を持っている。それは無言の圧力である。それがわたしには怪物に見える。しかしながら、わたしがオーストラリアで感じたように、本来、自我を持ち、自分の責任を自分で受け入れることは、自らを軽く、自由にする。わたしがオーストラリアに行く前に日本で感じていた自己責任の重圧は、本来の「責任」の範囲を大幅に超えて、日本社会がそれに過剰に罰を与えるというメカニズムが見えなかったために、それも自己責任の一部だと捉えてしまっていたからだと思う。日本では、「自己責任」の代償が大きすぎる。日本人に、法で縛らなくても自粛の規範を守らせる力の源泉は、自己無責任な人たちの膨れ上がった怨念である。それが「自粛警察」の正体である。

 

では、どうすればそれはましになるだろうか?それは、日本人のひとりひとりが膜を突き破り、自我を持つしかないと思うのだが、わたしより若い世代を見ていても、どうやら日本がやせ細っていき、子どもが少なくなっていく中で、彼らは自我を確立するよりもむしろ、より膜に入っていってしまっているようにわたしは見える。コロナ禍で、海外が余計に遠くなった。それにより、世界が次の方向に向かっている中で、日本人はより内側に閉じこもっている感じがする。わたしはそれについて、あまり明るい見通しはもっていない。おそらく、この「怪物」の棲家は我々の文化の暗い奥底にある。それには1000年以上の歴史があるだろう。そう簡単に、消えるはずがない。敵対しても、勝てるはずがない。わたしにできることは、わたし自身が自我をもつこと、怪物から距離を置くこと、つまりうまく付き合うことだけである。「あ、どうも、こんにちは」と軽く挨拶するくらいに。