午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

ナルシシズム

研究がうまくいかず、病みに病んで、最長記録の18日間なにもできなかった。1日だけ作業をしたが、そのときは向精神薬を飲んで無理やりだった。もっとも、なんだかんだ言って、その間にはプールで泳ぎ、恋人と温泉や京都の五山送り火を見に行ったりして、夏休みを楽しんでいた。

 

心の意識のレベルが低下することにつれて、小説は書き進んでいった。書かずにはいられない、今書くべきなんだという湧き上がる感覚が強くあった。小説の登場人物たちの会話を通してさまざまなことを学んだ。そして今日、ナルシシズムから(たとえ一瞬でも)脱却することができた。

 

もっとも、直接のきっかけは、自身のことを考えていたのではなく、安倍元首相などの「保守派」、日本会議天皇制と国体思想を考えていたときのことだった。わたしは、彼らの国家神道的な世界観が大嫌いだった。「国」に絶対帰依させられ、命を捧げさせられるなど、考えただけで寒気がする。「美しい日本」などというキッチュを押し付けられるのは御免だ。美醜感覚を押し付けてくるような国は、全体主義的な専制国家以外のなにものでもない。自由とは、美的感覚、つまり物の感じ方を押し付けられないということだ。国を守りたいなどというわりに、国民から金を搾り取る統一教会と結託して他国に富を流出させている。そのことに無頓着である政党が守りたいのは、国民ではなく、国体である。

 

「国体」はカルト的であり、オウム真理教と同じである。彼らはナショナリストではなく、単なるナルシシストである。そう思った。「天皇を中心とする神の国」とは神話の捏造である。天皇にグレートマザーを投影して、母性原理のなかでもやがかったように生きる。それが彼らが「取り戻したい」戦時中の「大日本」である。

 

彼らがことさらに「西洋とは違う」と強調する「日本」とは一体なんであろうか?「日本人」を強調するが、日本に住んでいる「日本人」には、大和民族だけではなく、アイヌ民族も含まれているはずだ。日本国内にも、たくさんの方言が存在し、さまざまな地域性や歴史がある。この単純な事実からも、平坦な「日本人」を強調するのは気持ち悪い。彼らがいう「日本人」というのは、明治以降にできた概念にすぎない。「日本語」の辞書がはじめて編纂されたのも明治時代である。にもかかわらず、彼らは「万世一系天皇が支配する神の国」という捏造された粗悪な神話を持ち出す。そして、「日本」は世界で特殊ですばらしく美しい国である、という集団的ナルシシズムに浸る。その結果、破滅が起こった。ナルシシズムの本質は否認であり、現実を認められなくなることにあるため、その帰結は破滅である。これは「偉大なるアーリア人」という粗悪な神話が沸騰したナチスも同じである。

 

と、考えていたとき、ふと気がついたのは、このわたしが批判した「日本」を、「自分」に置き換えてみたら、わたしも同じ陥穽に陥っているのではないか、という気づきだ。わたしは、他人よりも優れているという恍惚感に浸っており、超能力的な(竹槍でB29を落とせる、というような)誇大妄想に浸っており、それでわたしの周囲にもやがかかっているような感じがしていた。それが、先行研究をうまくレビューしたり、インタビューをうまく分析することができないことにつながっていた。

 

そうしたことに気がついたときから、もやが晴れた感じがした。自分が自分である、という自己同一感覚、Beingの感覚をはじめて実感した。今までは、自分の存在証明として、一番であることが、自分を自分であると特定することとイコールであったが、この2つになんら関係がないことが感覚的にわかった。わかったというか、醒めた、という感じである。ホスト狂いだった女性がふと目を覚ますように。「空気の研究」の山本七平の言葉を借りれば、わたしは自分自身を「臨在感的把握」していた。

 

もっとも、自分自身で気がついたというよりもむしろ、わたし自身のナショナリズムは先週カウンセラーの先生に指摘されていたので、精神分析の用語で言えば、それがわたしの「洞察」を生み出し、わたしは「徹底操作」された形である。まあいずれにしても、気がついたことには変わりない。

 

醒めてみると、ずいぶんと重たい荷物を背負っていたな、と思う。ナルシシズムは、どこから来るのか。それは、痛みを覆い隠すための麻薬である。では、痛みの根源はなにか。人間が最初に傷を負う時、それは臍の緒を切られたときなのかもしれない。母親(的なもの)とつながっていたいという、子宮のなかの幼児的万能感。ナルシシズムとは、分離の痛みに対する防衛である。

 

ナルシシズムが復活する度、わたしは想像上の臍の緒を切らなければならない。ナルシシズムは一度なくしたとしても、ヘルペスウイルスのように、薬で殺しても、量は減らせるが、その都度神経のなかに隠れて逃れ、また心の免疫が弱った頃に増殖するだろう。ナルシシズムに浸った状態=もやがかかった状態である、と身体感覚として理解したので、ナルシシズムから卒業する日は近いのかもしれない。