午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

時代に抗う

博士論文を目の前にして、ずっと行き詰まっていた。しかし、いまになって、突破口を見つけた。そのキーワードは、「時間」である。

 

「時間を有効に使う」、と言われてすぐに思いつくのは、限られた時間をいかに効率的に使って作業をこなすか、つまり今風に言えば「タイムパフォーマンス」を最大化して、「生産性」を高めることである。これが現代社会を覆っている。

 

しかし、瀕死の状態とはいえ、文系の学問のなかには、もっと長いスパンで流れる時間がある。指導教員の先生とやりとりしていて、聖書の解釈学の流れを引き継いでいるという、かつての人文社会学の伝統を垣間見ることができた。アカデミアでも、短い時間で最大の成果を出せという圧力はものすごく強い。わたしはそういう世界しか知らなかったので、常に焦っていた。だが、そういうアウトプットの仕方だと、求められているレベルの博士論文は書けないようだ、ということに気がついた(将来的には、求められるレベルも変わっていくかもしれないが)。

 

そのために、デュルケムなどの古典を読んでいる。読んでない文献が多すぎて(100冊くらいか?)、その現実からずっと目を背けていたが、昨年、恥をかくことによってそれらの現実を直視して、学部生のように社会学を基礎から学び始めた。今は苦しい時期で、アウトプットが強く求められる時期だが、それをほどよく無視して、出たばかりの芽を風から保護しながら、育てていきたいと考えている。

 

「時間」については、年末年始の帰省でも感じた。2年ぶりだったが、地元も少しずつ変化していたのを感じた。家族にあったわだかまりも、時間が経つことで、付置構造が変化していったのを感じた。

 

2023年は、不確実な時代のなかで、確実なものを追い求めていきたい。2022年で底まで落ちた感があるので、あとは登っていくだけなのかもしれない。絶望の中の圧倒的な光、そんな明るい兆しを感じている。それは、かつての自分が望んだ姿ではないのかもしれない。しかしながら、新しい自分なのは間違いないだろう。