午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

雨が降っている。少し苛立っている。

 

今、やろうとしている農村研究の先行研究を相変わらず調べているのだが、なかなか自分が使えそうなパラダイムがない。そもそも、今日の社会学は混乱している。共通の理論というものがない。そんななかでも、都市社会学はある程度シカゴ学派という共通の理論(や社会調査)が今日でも生きているが、農村社会学においてはもはやなにもない気がする。個々の研究者が農村でフィールドワークをして、それぞれの問題関心から研究成果を報告することがばらばらに行われているように見える。それですっかり困ってしまっている。

 

というのも、私のそもそものバックグラウンドはミクロ経済学計量経済学であり、これらは(それが妥当かどうかはともかく)明確なモデルを持っており、実証しやすい。自分がかねてよりイメージしている理論とはほとんど数理モデルとイコールだったが、特に農村社会学において数理モデルなど存在しない。

 

苛立ちの原因のひとつは、たかがドクターの3年間で満足の行くような農山漁村を対象にした社会学理論を私が構築することなど不可能ということである。それはもちろんであるが、そもそもどの理論に立脚して分析していいのかがなかなか見えてこない。過去の研究を読んでも正直理解できない(私の頭が悪いのか?)。苛立ちを隠せない。糸が絡まって解けない。社会学において質的研究は一定の成果を挙げているものの、私自身は苦手であるし、センスもないと思っている。であれば量的研究なわけだが、今日の農山漁村において複雑なデータ解析をするための理論がまったく整備されていない(誰かやってくれないものだろうか...)。

 

私自身はどうやら「共同性と個人」の関係に研究関心があるようだが、それについては様々な論者が様々な角度から様々なことを言っている。この問題は社会学の根本問題だからである。「共同性」とは何か?それをどう捉えるのか?全然わからない。捉える方法を目下構築しないと論文が書けない。イライラする。そもそも、他の学問分野であればリサーチ・クエスチョンがほとんど決まっている分野もあるだろうし、そうでなかったとしてもパラダイムを自前で構築しなければならない分野なんて稀だろう。まったく、社会学者は100年もの間一体何をやっていたのかと愚痴りたくなる。

 

雨が降っている。とりあえず、コーヒーを淹れて落ち着こうと思う。