午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

酔狂

結果に自信がもてないまま、研究に忙殺されている。自分には才能がないと思ってしまう。しかし、今のところはまだやってみるつもりである。

 

先ほどオンラインで、大学院の後輩が企画してくれた勉強会に参加した。社会学の基礎を学び直すというものだ。「社会学の理論」の入門的教科書というと、たとえば経済学なら「ミクロ経済学」などかっちりした理論の勉強になると思うが、そういうものではなく、(マルクス)、ウェーバージンメル、デュルケムが出てきて、彼らを受け継いだ人たちの多様な展開、というストーリーをとる。まあいってみればグランドセオリーのような大きな理論がないからだが、ただ、彼らの問題意識や方法などはやはり学ぶことが多いなと思った。自分が社会学をやっているのは目に見えない「社会」によって付けられている傷を癒すためであると改めて思った。

 

社会学にも、テクノクラートのような発想がないわけではないと思うのだが、「人文・社会系」としての社会学は、やはり余分な、暇人のための学問だと思う。「余分な」というのは、わたしはよいことだと思う。少し前までは、余裕のない現代日本社会の要請に従って、「役に立つ」研究をしなければならないと自分で自分に強力なプレッシャーをかけていた(そして、短期で結果を出さなければ、という圧力を感じていた)。しかしながら、コロナ禍その他もろもろで振り回されに振り回され、わたしはもうそれを諦めた。

 

本質的に、自分がやっているのは、暇人の学問である。しかし、暇人が「役に立たない」のかといえば、全然そんなことはない。みんなが忙しくしているときに、彼らはいったいなにをやっているのだろう、どこへ向かうのだろうと考えるのが暇人である。そして、忙しい人には考えつかないアイデアを思いつく。暇なのは、全然悪いことではない。わたしは物好き、酔狂なのだ。

 

余裕をもつことは大切だ。禅の言葉で「喫茶去」という言葉があるらしい。嫌いな相手にも一杯のお茶を出すという余裕。なかなかできることではないが、これはとても良いなと思う。わたしは、水曜日を(自主的に)休みにして、週休三日にすることにした。今日は雨だ。わたしはこうしてブログを書き、インスタントコーヒーを飲んでアルフォートを食べている。