午後のまどろみ

らくがき未満 / less than sketches

向き合おうよ

修論の口頭試問、博論の研究計画、院試、TA、チューター、科研費の申請締切などさまざまなものが一度に押し寄せている今、ブログを書いている時間など無いはずだが、書きたくなったので書き留めておく。

 

最近、ものすごいプレッシャーと不安に苛まれていた。それは今でも変わらない。毎日都心部にある広めのスタバで作業をしているのだが、今日は行く途中に丸善に寄って気分転換を図った。その中で企業研究者の心得、そんな感じの本が置いてあり、「研究テーマ」の重要性が説かれていた。

 

私の研究テーマは「地域おこし」である。キャリアのはじめが地域おこし協力隊であったので、必然的にこうなった。しかし、すっかり興味は薄れていた。そして研究はスランプに陥っていた。ここに至っていろいろうまくいかなくなった。行き止まりだった。そこで私は根本的に態度を改めようと思った。自分の弱さに向き合おうとも思った。

 

今までは、消費者的態度で世界と接していた。自分の頭の中はそれを嫌っていたが、態度は完全にそれだった。理論と実証が乖離していることに気がつけたのは修論のおかげである。消費者的な態度というのは、すなわち研究や小説その他の職業をまるでケーキを選ぶように「これはおいしい」「けど飽きたな」と少し味見してはいろいろな味を試すような態度である。社会に新規参入する若い間において、いろいろ試す時期は必要だと思う。しかし、それはあくまでモラトリアムであり、終わらせないといつまでもそこに停滞してしまう。

 

そこで、私は研究テーマと向き合うことにした。「日本有数の地域おこし研究者になる(やりたくないけど)」と丸善の一階で決めた。向き合ってみたら、少しは開けてきた心持ちがした。

 

ある人を好きになったとして、その人のいやなところが見えるとすぐに関係を切る。そんなのは良くない。向き合うとは、相手の嫌な部分も含めて相手との相互作用を行うことである。「関係性」というのは自分と相手の足し算ではない。掛け算である。今日の自分にとって向き合う対象、それは研究テーマであったが、それは自分の弱さ、親しい人との関係、嫌いな人との関係、その他あらゆるものとの関係に通じる。もっと広く捉えれば、貧困層と富裕層、イランとアメリカ、LGBTと保守派、彼氏・彼女、上司・部下、妻・夫、親・子供その他ありとあらゆる者たちが、互いに向き合わず、まずいことになっていると思われる。

 

だから、これを読んだ君は、向き合おうよ。