午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

「よい子」

仕事のプレッシャーが極値に達し、東京で潰れたときと非常に似通ってきたので、抱えていた締切間近の仕事を放り出して、コロナ禍以降中断していたちょっとした電車日帰りの一人旅をした。仕事で自身のメンタルがかなり悪化し、おおげさにいえば死に片脚をつっこみかけた。自分の身体の半分が透明になってきていた。そして、旅をとおして黄泉の国へのプチ旅行をしてきたとも言えるだろう。

 

わたしのもともとの人生のスタイルはこうだ。電車に乗る。目的地は決めない。地図もみない。ビビッときた駅で降りる。直感的に良さそうだと思った店があったら入る。なければ入らない。学部生のころなどはよくそれで東京、いや世界中をまわっていたものだが、ずいぶん久しぶりにそれをした。そうして、ほんの少し、1mmくらい自分の感覚を取り戻した。

 

目的を決めない、段取りも決めない、曖昧、というのは仕事ではもっともしてはいけないことである。仕事では、わたしのマインドとは正反対のことを求められる。そんな「組織」という柄でもないものに2年間も没入していたら、それは疲れるだろうなと思った。

 

「誰にでも好かれる人間というのは、生きていないも同然かもしれません」「たとえば、日本の場合では、自我ということを確立させずに生きた方が人からほめられることが多いかもしれません。ああしなさい、こうしなさい、と言われてはい、はいと聞いていれば、おとなしい気立てのよい人といわれるかもしれませんが、喜んでいるのは他人で、本人は生きていないかも分かりません」(河合隼雄  2009:222-223)

 

自分は、フロイトのいう超自我に敗北してしまい、存在を脅かされる状態になった。座禅をしてその根底を探ると、そこには恐怖があった。見捨てられ不安、生活を脅かされる不安。旅をして気がついたが、自分は物を持ち過ぎた気がした。生活が快適になるほど、生存の首根っこを権力に押さえつけられ、小役人のようなマインドになってしまう。執着するから不安になる。だから、理想は、スーツケースひとつでいつでもすべてのものを捨てられるマインドを維持することだろう。でないと、極端に言えばプーチンにしたがう側近のようになってしまう。

 

「よい子」とは、他人にとっての「よい子」であり、自分自身にとってはない。自分自身の日常に対する主導権を、少しずつ取り返したいと思うが、長い闘いになるだろう。

 

引用文献