午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

食べる

夢を見た。

 

自分は、青森県に出張かなにかで出かけている。JR青森駅で車を借りて、出張先の山奥に向かった。目的地まではナビを使い、舗装された道路で簡単にたどり着くことができた。用事が済んで、帰ろうとしたが、道に迷った。もっとも、帰る前から、自分は車の運転が苦手なこともあって、なんとなく帰れなくなるような気がしていた。案の定、道に迷い、ジャングルのような森に来た(青森と鹿児島、アマゾンのイメージが混ざっている)。そこで、気球を飛ばしている人たちの村にたどり着き、JR青森駅の場所を聞こうとした。まずは中年くらいの男の人に聞いたがわからず、もっと物知りの女性のもとに連れて行ってもらった。その女性は、男らしい感じであった。明らかに、わたしに不信感をもっている感じだ。JR青森駅の場所を聞いても教えてくれない。その女性をわたしが舐めてかかっていると思ったのか、その女性は自分のことを「弁護士だ」と言う。わたしも、自分は弁護士だという。すると、女性は自分のことを「会計士もやっている」と言う。わたしも張り合って、「自分も会計士をやっている」と言う。張り合いは平行線をたどり、わたしは突き放された。どうやら、この気球が飛ぶジャングルの村から容易には帰れないらしいということはわかった。何年もかかるようだと。わたしは、仕事が溜まっているので、一刻でも早く新幹線に乗って東京に帰りたいのだが。

 

そこで目が覚めたが、この続きは少し予感していて、おそらくその村の飯を食うことになるだろう。得体の知れない飯だ。それを食べて、何年かそこで暮らすことになりそうだ。

 

この夢は、非常に示唆的なように思われた。というのも、前日に河合隼雄の本を数冊拾い読みしていて、そこで意識と無意識のやりとりの話があったのだが、そこでは無意識が原住民に、意識が原住民と接触する貿易船にたとえられていた。個性化とは、貿易船をとおして原住民から荷物を受け取り、それを持ち帰る作業なのだと。

 

この夢は、理論的にもすごくすっきりと説明できそうだ。気球が飛ぶ村、つっけんどんな女は無意識の住人である。最短ルートである舗装された道を知らない(あるいは教えてくれない)のは、安易な「解決策」を封じるという意味だろう。そして、コンステレーション(布置)として、この夢の状況は、量的調査をして研究をさっさと片付けたい自我に対して、質的調査、フィールドワークを迫られている現実のわたしと重なる。現地のものを食べる。これは、内的には(自我にとっては影になってしまっている)無意識のことを経験すること、外的にはフィールドの言葉を経験することと考えられる。この夢からの気付きは、その供されたものを食べることをわたしが頑なに拒否していることに気がついたことだ。そんな遠回りしつつあることを、わたしの自我は認めたがっていない。それがこの夢と重なる。

 

また、安易な解釈でまとめることへの警告もあるかもしれない。しっかりと現地(無意識あるいはフィールド)の飯を食べろ。これにはきっと、とても重要な意味がある。

 

正直、夢なんて信じていなかったのだが、河合隼雄(わたしが尊敬していた祖父に似ている)を信じてみたくなった、というのもある。まさに、ユングの元型論でいうところの自我を自己へと導く「老賢人」といったところだろうか。