午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

春の気配

2月になった。今日は春のような暖かい陽気さを感じる。ラジオで知ったビッケブランカの『うらら』という曲を聴いている。大阪生活も慣れてきて、落ち着いてきたように思う。

 

最近、臨床心理士を目指す恋人の勧めで大学でカウンセリングを受けはじめた。通常だったら5,000円から10,000円はするプロの臨床心理士さんのカウンセリングを無料で受けられている。週1回で、今日はこのあと2回目のセッションだ。

 

言語的コミュニケーションだけでなにか変わるのか疑問だったが、1回目のカウンセリング時にただ自分の話をしただけで結構発見があった。そのなかで、ここ数年自分は忙しさにかまけて自分ときちんと向き合えてなかったなと思った。そして、自分は、自分のなかにあるクリエイティビティを一番大事にしていて、それが自分が「権力」と呼んできたもの(これは「社会」というよりも「常識」という言葉のほうがよりしっくりくる気がした)に押しつぶされて、そんな「権力」を無意識に内面化することで言語化できない苦しみになっていたのではないかと考えた。栓が悪い感じでつまっていて、あふれそうになってしまっていたのだ。

 

カウンセリング後に恋人に話したたとえ話で、「自分はもともと積み木遊びが好きで、教室のはじでひとりで積み木遊びをしていたのに、まわりの大人たちが『そんなくだらないことやらずに勉強しなさい』と無理やり教室の椅子と机に連れ戻して勉強させる。しかも、なんの勉強をさせるのかと思えば、『積み木のやりかた』の勉強だった。大人たちは、積み木の勉強をさせるために自分から積み木を取り上げて机に机にしばりつける。彼らは、本物の積み木というものを見たこともなければ触ったことがなくて、得意げに積み木について語る。そして机にしばりつけられて積み木を取り上げられた自分はどんどん辛くなっていった」というものがあった。この「積み木」は自身のクリエイティビティ、「大人」はいままでの常識や、新しいものや挑戦を嫌う上の世代の研究者たちということになるのかもしれない。

 

思えば、アイデアが豊富な子供だった。保育園のときは工作ばかりして、「保育園に工作ブームがきました」と連絡帳に書かれていたし、小学生のときは今とは違ってまったくプログラミング教育など言われていなかった時代だったがずっとプログラムを組んでいたり、漫画や小説を書いたり、放送委員会の委員長として新しい番組を企画したり、卒業式は自作のピアノ曲を弾いたり、とにかく企画したり作ったりするのが好きだった。そんなことを最近はすっかり忘れていた。やっぱり、やりたいことを押し殺さずにやるのが一番いいと思った。幸いなことに、今の指導教員は私の作る「積み木」にかなり興味を示してくれている。これからは、もっと自由にやっていこうと思う。