午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

問い

ここ最近、ずっと走っていた感じがしていたが、今日は家でゆっくりしていた。ゆっくりしていると、いろいろなことを考える。未消化だったあれこれが、自分の理解のなかでゆっくりと場所を与えられて、自分のそれまでの理解と紐付いたひとつの解釈として落ち着く。そしてその解釈は、変化する現実に対応して、不断に更新されていく。

 

今日は、「問い」について考えていた。「学問」とは、「学」と「問」という字で構成されているが、なるほどと思った。「問い」の重要性は、リサーチクエスチョンの重要性として研究のトレーニングでは厳しく言われるが、自分は今の今までその「問い」の重要性を半分しかわかっていないような気がした。片手落ちだった「問い」のもうひとつの側面、それは「問われる」ということである。

 

先行研究、あるいは誰かの言明は、それを受け取る側にとっては「問い」である。「で、それを読んだお前はどうするんだ?」という、筆者から読者への問いかけである。ある人にとっての答えは、別の人(結局はそれを書いた人も含む)にとっての問いである。答えられたその瞬間から、その命題は、問いになる。真剣な問いを受け取った読者は、それに答えようとしなければならないだろう。そしてそれがまた新たな問いを生み出す。そのプロセスが対話である。そうした深化の過程は、円環的である。20代前半、私は「広く浅く」やっていたが、後半になって、「深める」というフェーズに入ってきたように思う。

 

今の世の中は、誰かが作った答え(正解)にばかり執心し、問いのほうがおろそかになっているのではないだろうか。対話とは、問題意識のぶつかり合いであり、決してみんな仲良しの世界ではない。しかし、一定のルールがあるし、そこから生み出されるものは平行線の主張とは比べ物にならない新しいものであるはずだ。