午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

10月

ふと気がつけば、10月になっていた。大阪へ来てから半年が過ぎていた。COVID-19は相変わらず収束の気配が見えないが、この間私はなにもしていなかったわけでは決してない。なんだかんだで、しっかりと大阪で青春を楽しんでいた。

 

9月頭に電車と踏切の騒音から逃れて静かな部屋に引っ越したら、こんどは縦長の部屋ということでものすごい圧迫感を感じ、前の記事のように向精神薬に頼ることになってしまっていた。心療内科に行く寸前だったが、昨日部屋に来ていた彼女のアイデアであっけなく解決してしまった。それは、長い方の側面に平行に敷いてあったベッドをただ90度回転させるだけというものだった。その30秒の作業で、部屋は2倍の広さになったように感じた。脳とはほんとにおかしなものだ。おかげで、今日は寝不足ではあるものの、精神的にはひさびさに余裕がある。余裕を持って振り返ると、引っ越しや学会の渦中には気が付かなかったが、それは疲れるよな、と自分を労る気持ちになった。

 

まわりの友人などには「もうだめだ」と繰り返し言っていたものの、よくよく考えれば結局素敵な彼女と出会っているし、研究もなんだかんだいって順調で、絶望的(だと自分が勝手に思っていた)11月末の論文投稿もこのままいけばうまくいきそうだ。一年くらい研究は停滞していたが、いろいろあってまた動き出している。この論文は2年越しのものだ(2年前にリジェクトされたものを大幅に改稿し、ジャーナルも変えてリベンジだ)。なんだかんだで博論研究のリサーチクエスチョンの方向性も見えてきた。

 

結局、今の自分の将来の夢というか目標は、博士号をとってアカポスにつくということだ。20代前半の「偉大な芸術家になって歴史に名を残したい」「立派な学者になりたい」などといった壮大な夢にくらべたら、ずいぶんと地味なものになってしまった。しかし、それらは決して断絶しているわけではない。欲求に素直に従って自分の道を進んでいる結果、まわりに応援してくれる人たちがいるし、他人にかまわずにひたすら自分の研究を追求することで心が保たれている。そして何より、自分のことを理解してくれる恋人に感謝している。自分はどちらかといえば島へ行ったりいきあたりばったりで大学院を渡り歩いたりする野生の人間だ。その矜持を大事にしたい。

 

結局、研究、創作、恋愛、あるいは普段の人間関係は、プミラに光と水をやるように、きめ細かく、息を長く、ひたむきにやるしかない。短期的にはぶれぶれでも、平均的には前に進む。結局はもとの場所に戻ってくる。それも、たっぷりとお土産をつけて。それが自分のやり方である。

 

なにも考えない。ただ見えてきたものに従うのみである。