午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

「やりたいこと」を探す意義

学部生の頃、「やりたいこと」や「好きなこと」がわからない、と悩んでいる人を多く見た。ちょうどYouTuberがもてはやされてきた時期で、「好きなことで、生きていく」がYouTubeのキャッチコピーであった。

 

確かに「やりたいこと」を探すのは重要であると思ったが、その当時は違和感があった。自分のやりたいことを探そうとも思わなかったし、探す必要性も感じていなかった。今でも自発的に「やりたいこと」を探すことはない。しかし、今なら「やりたいこと」を探す今日的な意義については説明できると思う。

 

今日、本当かどうかは別として、人生100年時代と言われている。たしかに平均余命は伸びている。医療技術の進歩は止まらない現代社会において、これまで以上に重要になってくると考えられるのが、人々の意志である。癌や伝染病などの外在的な病については、その脅威は減少していく。そこで問題になるのが、そうまでして生きていたいか、ということになる。あらゆる病気や怪我を絶滅させた結果、最後に残る死因、それは自殺である。自殺とは、自ら生きることをやめるということである。

 

今の社会は、生まれてから言われもなく刑務所に入っているようなものである。そのような世界観では、刑務所から出所する=死ぬことを求める人も一定数いるだろう。そこで重要になってくるのが、人生の意味(meaning of life)である。刑務所ぐらしを人生の意義と達観する場合は別にして、「やりたいこと」を求めるのは、単純に好きなことをして楽しみたいという快楽的な欲求を遥かに超えて、人生そのものを意義深くする、存在論的な意味があると思われる。刑務所の檻を破壊するもの、それが個人の「やりたいこと」である。お金で買えない幸福、精神的な報酬、生きている実感を21世紀の都市住民は求めている。

 

個人の「やりたいこと」が社会的課題と結びついた場合、それが社会を前進させるための起爆剤になる。欧米をお手本にしていたかつての時代と異なり、お手本が不在の現代においては、そうした個人の「やりたいこと」、あるいは「個性」というものが正解を見つけ出すために重要になってくると思われる。個人の社会のなかでの生存戦略として、「やりたいこと」に邁進するのは有りだと思う。

 

ただ、存在論的な意味にまで昇華した「やりたいこと」を見つけるためには片手間ではダメである。本気で、人生を賭けて探さなければならないだろう。ひたすら自分の内面と向き合って、他者との対話を繰り返す。自分の内なる天才性を理解し、真摯に向き合っていく。そうすれば、きっと未来は見えてくる。