午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

いつの間にか、もう6月だ。紫陽花の花を見てそれに気づく。道端に咲いている花にはあまり関心が向かないが、紫陽花だけは昔から好きだ。そして見れば、案外紫陽花の花というのは方々に植えられている。

 

直近では一昨日の研究会発表がひとつの山場だったが、終わったあとには、心に隙間風が入る。これを書いている23時には、自分を取り囲んでいる一切のテキストが無意味なものに感じられる。やっていることも、考えていることも、他人の存在も全て。「だから何?」って思ってしまう。なんでこんなどうでもいいことのために、一所懸命社会は回っているんだろう。あまりに騒がしくてそしてバカバカしい。無駄なことだらけだ。口から出た瞬間、すべての言葉は嘘になる。言葉ならまだいい。文章となると、これはもう嘘の塊である(嘘を逆手に取って真実を語ろうとするのが文学であるのだろうが)。世の中はあまりにもきっちりとしていて、熱意に満ちていて、みな立派ですばらしい。そんな様を見ると、思わず茶化したくなってしまう。

 

昔から、冗談を言う方だった。みながシリアスなのが耐えられないから道化になりたいのだ。あまりにもバカバカしいから。相手が真剣であればあるほど、おどけたくなる。笑いというのは、物事を相対化する作用がある。それによって冷静になるのだ。

 

熱意は、やがて尽きてしまう。そんなものは長い目で見たらまやかしだ。残るのは、静けさのみである。