午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

後輩へ

(想像上の)後輩へ

 

元気かな。決断するか迷っている君に、少しだけ先に決断をして自分の道を生きてきた先輩としてなにか伝えられたらと思って筆を執った。

 

君は、その決断を頭の片隅にしまいつつ、死んだような日々を過ごしていることだろう。毎日の生活は、将来的には漠然と不安になる部分がありながらも今のところは安牌で、他の人からしたら恵まれている状態にある。だからこそ、それを捨てるなどと口走った日には、まわりに大反対されることは間違いない。非合理的だからだ。しかし、そんな日々に対して何となく生きている実感が湧いていないという自覚は強くあることだろう。

 

なぜそう感じるのか?簡単なことだ。自分の足で、頭で、ときには肚で、道を切り開いていないからだ。危険がないからだ。自分で道を切り開くという過程には、強烈な自由がある。だが多くの人はそれをせず、社会的なものや安定のために自らの声に蓋をしているのだ。

 

勘違いしてほしくないのは、私は君のその頭に浮かんでいる決断を勧めているわけではないということだ。それは苦難の道である。おそらく、想像を絶する、厳しい道だ。君は、その決断によって、そうでなければ一生感じなかったような長い苦しみを味わうのだ。それはいわれのない侮辱や、先の見えない真っ暗な絶望、安定した人々への妬み、後悔、孤立、周囲の不理解、もしかしたら金銭苦や、その他あらゆる残酷な状況に置かれる夜もあるだろう。そういったたぐいのものは、想像を超える苦しみを与えてくる。しかし不思議と、そうした夜に見る星は、忘れられないくらいに美しいものだけれども。

 

自分の決断に全体重を乗せて、道を切り開く。これほどに生命力を爆発させる歓びを、私は他に知らない(ただ、「普通」の人生など存在しないので、たとえどのような道を歩んだって歓びは存在する。だから私は別に決断をすることを勧めているわけではない)。自分の芯を持つこと、周りの目を超越すること。これらは強烈な歓びにつながるものである。

 

苦しむところは思い切り苦しみ、歓ぶところは思い切り歓ぶ。自分の内なる強烈な叫びに蓋をしてはならない。自分を信じきることが大切だ。ただ信頼というのは、他人との間でもそうだが、一日にして生まれるものではない。ともに苦楽を生き延び強くなることで得難い絆が生まれ、それが自信になる。結局、最後まで自分についてきてくれる人は自分しかいないからね。経験上、そう思う。自分が自分に伴走し、ときに支えながら、前へ進めていくしかないんだよ。

 

なんにせよ、私は君のことを応援している。