午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

2020

2010年代が終わり、2020年がはじまった。私にとって、2019年、27歳は20歳に次ぐ内面的に低迷した時期だった。そして、20歳のときのような美しい出会いや出来事はまるでなかった。ただ家とスタバを毎日往復するだけで、(20歳のときも結局はそうだったが)自分自身で答えを見つけなければならなかった。

 

2019年、自分が気がついたのは、自分は普通の凡人だということである。何の特別な才能もなかった。しかし、不思議とそれについては悲観的な気分ではない。むしろ、心のどこかで自分が勝手に背負い込んでいた妄想的な重荷をおろして、ほっとしている。天才的な作業は他の人に任せて、自分は自分なりの芸術を作ればいいと思っている。

 

"Thinking outside of the box"ということわざがあるが、私は箱の中をぐるぐる回っている状態であった。そこから脱出できたのは、「笑い」の力だった。漫才の形式である「ボケ」と「ツッコミ」は、オブジェクト(対象)とメタの関係にあると思う。そして、今までの悲劇的な私は、いわばツッコミのない状態でボケ倒していた。2020年は、少し「笑い」を意識したい。また、2020年やりたいこととして、今まで自分が考えてきた事柄や理屈を全部捨てたい。これはかなり難しいのだが、自分に対する執着を捨てたい。

 

2019年、私は主体性というものを少しばかり捨てた。自分の人生の「運命」を、受け入れようと思った。「人生とは〜」「生きるとは〜」「自分とは〜」など、考えても無駄である。私のポンコツ頭ではわからないのだから。これが、ひたすら考え続けた今の所の暫定的な結論である(といっても、考えてしまうのは私の癖なので、これからも考え続けるだろうが)。私は、計画をあまりもたない。堕落したい。

 

運命というものは、私達人間に理解できるものではない。自分がこういう身体を持ったのも、脳の構造をしているのも、私が選んだわけではない。私の人生は、荒波である。それはもう、仕方がない。望む望まないに関わらず、大きな波が押し寄せてくるのだ。もう、そのことに関しては受け入れるしかないと諦めた。

 

しかしながら、その諦めに抗うものとして、「意志」がある。「意志」というものをどう考えるのかは厳しい大自然を経験した礼文島時代からの私の関心事である。運命というものは抗いがたいものではある一方で、「意志」によって、人生の方向性は変えることができるとも思う。私は100%運命を受け入れるべきとは思っていない。1%くらい、意志が介在する余地はあると思う。

 

その「意志」と「運命」が拮抗する場所として、2020年は7年ぶりに小説を書き上げたい。2020年に私が唯一設定する目標である。私が小説になにかメッセージ性をのせるのではなく、小説が私になにかメッセージを教えてくるような状態が目標である。ありのままを、自分と世界が拮抗する場をそのまま描きたい。まあ2021年でも2022年でもいいのだが、とにかく完成させたい。

 

本年もよろしくお願いいたします。