午後のまどろみ

らくがき未満 / less than sketches

心の隙間について

最近(というかいつも)忙しい。そんななか、帰宅途中の電車の中で、ふと田園風景と夏の夕日が一瞬だけ窓越しに見えた。大勢の帰宅客の隙間に、ジョン・コンスタブルが描いたようなやさしい風景が垣間見えた。

 

その瞬間、私は<<私>>になった気がした。ほんの一瞬だけ、自分の普段意識もしない心の隙間を感じた。そしてあることに気が付いた。

 

それは、今までは忌み嫌って追い払おうとしていた心の隙間こそが、自分そのものなのだということである。もし自分から心の隙間を無くしたら、ただ日常を無感情にこなすだけのロボットになってしまう。それは<<生活する>>という目的のもとで完全に合理的である。しかし、<<生活>>を超越したいという存在論的な欲求、すなわち私が<<私>>になろうとする絶望的な企て、それこそが私が隙間として認識していたものなのかもしれない。

 

思えば、人生の本質とは矛盾である。近い将来死ぬとわかっているのに努力して生きようとすること自体、「合理的」とは言えない。しかしほとんどの人はそうしようとする。そうするしかないし、ほとんどの場合はそうすべきである。心の隙間とは、そんな矛盾と近しい関係にある。

 

人生とは結局なんだったのか、おそらく死ぬまでわからないだろうし、死ぬ直前になってもわかるまい。