午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

近年では例をみないほど連日雨が降っている。水害が各地で多発している。コロナも再び拡大傾向にある。人びとの心は弱っている。

 

女の子に出会ってから、忘れていた(あるいは見ないようにしていた)自分の心の底の苦悩を直視するようになった。その苦悩の理由はわからないが、それは叫び声をあげ、血を流していた。

 

虐げられているからではない。搾取されているわけでもない。それは、根源的な、死ぬことでしか解決できない、生きていることそれ自身からくるものだろう。そんなものに「理由」など求めても意味がない(そうした「理由」探しには飽き飽きしている)。

 

生まれたことは、望んでもいない、いわば「呪い」である。しかしその見方のすぐとなりに、「福音」という別の見方がある。両者の距離は数センチほどでしかない。そして、両方正しいし、両方の見方ではじめて全体が描けると思う。

 

加えて、我々は都市という別の呪いをかけられている。それは夏目漱石が『私の個人主義』で述べたように、檻の中にいれられながら自由を叫ぶ矛盾した存在としての我々である。我々は、常に矛盾を生きている。それは解き難いもので、仮にルールを全部無視して自由にやればよいというほど単純なものではない。その矛盾が、我々を確実に蝕み、血を流すような苦しみを与えるのだ。

 

我々は、無数の偶然の上に立ち、選択できないなかで決断を迫られ、無数の偶然の責任を(過剰に)負わされている。その責任は、もとから理不尽で過大なものなのだ。私は、それを無理して引き受ける必要はないと思う。「責任をとるふりをする」。それが私たちにできるささやかな抵抗であると思っている。

 

雨が降り続く。