午後のまどろみ

らくがき未満 / less than sketches

大阪物件大戦争

住む部屋は大事である。

 

3月頭に懸案だった修士論文、大学院入試の結果がともに発表され、合格だったので急いで物件を探しに日帰りで名古屋から大阪へ行ってきた。3月の移動時期で1日で決めなければ埋まってしまうというプレッシャーの中で、結局ましなところを決めたがまったく納得いっていなかった。ネットで目星をつけていたところはすでに埋まってしまっていて、内見したうちの何件かからこれならまあ住むことはできる、というところを抑えたのだ。しかし、閉所恐怖症ぎみの私にはその決めたところは不安しかなく、名古屋に戻ってきたときには不安がいっぱいだった。正直、絶望だった。精神的におかしくなってしまうのではないかと本気で思った。もう社会では生きていけないとパニック状態であった。

 

その日の夜は、大阪から戻ってきてそのまま家族で会食だった。私は不安を隠しきれず、「どうだった?」と聞く家族に「微妙だった」と歯切れの悪い回答をしていた。物件を見るのが趣味で現在那古野(名古屋市内の文化的なエリア)に一人暮らしをする弟は、スマホによって一瞬でもっといい物件を何軒も見つけてくれた。もう新幹線代往復1万円と申込金2万円(これはあとに悪徳であったことが発覚した)の合計3万円と労力を払ってしまったし、いいかなと最初は思っていたが、弟の話を聴いてからもう頭の中では明日も大阪に行こうと決意し、そのことで頭が一杯になった。やはりあんな部屋、住めない。そう思ったのだ。数件しか調べずに行った私に、弟は「兄ちゃん、それじゃ丸腰で戦場にいったようなものだよ」と言った。その一言で完全に意識が切り替わった。なんとしてでも、いい物件を探し当てる。人生のすべてを賭けて。そう思って夜も恐怖と不安と興奮で眠れず、なんども明日のシミュレーションをした。朝起きて文字通り超特急の新幹線に飛び乗り不動産やA、B、Cをこういう順番で回ってその最中にもメールや電話でやりとりして...と頭の中で段取りを組み立てた。

 

そのかいあって、次の日には考えうる限りの最高の結果を生んだ。結局決めたのは、最初に目星をつけた物件だった。家賃は前日に決めた物件とほぼ同じである一方、部屋のレベルには天と地ほども差があった。私は最終的に決めた物件に最初から惚れ込んでいたのである。一度は諦めたが、結局はその部屋が諦めきれず、結局手に入れたのだ。厳密に言えばその建物は6階の一室だけ空いていたものの、退去日が3/26で入居日が4月上旬から中旬にずれ込んでしまうため、最初に物件を決めたときは選択肢から外れたのだ。しかし冷静に考えれば、新しい大学院で入学手続きが3/26にあるものの、3月はその日だけで、実質授業が始まるのは4/10くらいのはずだ。だから数日ホテルぐらしか何かでしのげば問題ない。そう決意したら、物件の選択肢がぐっと広くなった。たかが数日のために数年間、200万円くらいの買い物を妥協するなんて合理的ではない。そう計算したのだ。

 

大阪駅で弟が勧めてくれた物件をまとめて扱う不動産屋Aに向かう途中、念の為連絡しておいた惚れ込んだ物件を扱う別会社Bからメールが来て、まだ6階の一室が空いているとのことだった。そのためBに寄ってからAに行くとAには伝えた。Bはなんばにある店だった。私は御堂筋線で新大阪からなんばに行き、ほとんど開店してすぐの時間に全速力で走って(ただし息を切らしていると恥ずかしいので少し息を整えてから)その店に行った。アドレナリンしかでていなかった。なんばの街は晴れていて、昨日一昨日と疲労困憊しているはずが、なぜか意識は揚々としていた。

 

そこで迎えてくれたおそらく年下の担当の女性に開口一番、「この物件しかないんです。そのために新幹線で来た」と惚れ込んだ物件に一秒でも早く連れて行ってほしいと(おそらく)すごい剣幕で話した。その女性が運転する間にも、つとめて冷静に振る舞っているつもりだったが、「ここどこらへんなんですかね〜」などと連発し、おそらく早く連れて行って契約したいという気持ちが伝わっていたと思う。彼女は私が内見してもし「違う」と思ったらどうしようと非常にプレッシャーに感じているようだった。しかし、私にはわかった。その物件が私を呼んでいることが。やはり、直感が大事である。そして、安易に妥協せず、納得できないことをそのままにしてはいけないのだ。

 

目当ての物件について内見し、大学近くにあるその物件を即決断した。角部屋ではなかったが、まあそれは仕方のないことだと諦めた。部屋を抑え、車で大学近くからなんばに帰る途中、どっと疲れが出てきた。と同時にその道がちょうど天王寺日本橋〜なんばと大阪の観光名所を通ることもあって、大阪出身のその女性からいろいろな大阪の話やおすすめのたこ焼き屋を聞いた。

 

そしてその女性に見積書を作成してもらっていた。なんとその途中、新情報として部屋で決めた部屋よりも1000円安い角部屋がたった今空いたとのことだったので、即その部屋に切り替えた。管理会社もその不動産と同じグループだったので、非常に助かるしきちんとしている印象を受けた(前日のFCの不動産屋は今から思えば本当に最悪だった。ただ今回も見積書でさらっと謎の費用を計上していたので、それはきちんと見破って追求して減額してもらったが)。万事うまく言った。もう13時半を回っていたが、もう後やることは1つ、たこ焼きを食べることしかなかった。

 

別れ際に、その女性はあちらです、とその女性が弟に聞いたというおすすめのたこ焼き屋の場所を教えてくれた。商店街をまっすぐ言ったところにドン・キホーテなんばグランド花月があり、そのすぐ隣だと。私は礼を言い、その商店街の人混みの中に入っていった。

 

商店街はいかにも大阪らしいような雑多な感じで、大阪弁が行き交っていた。そしてなんばグランド花月の隣にあるたこ焼き屋を見つけた。私は前日の物件をキャンセルをする連絡を入れてから、そのたこ焼き屋でたこ焼きを頼んだ。「言ってもたこ焼きなんてどこも変わらないだろう」と思っていたが、「おおきに!」と(そのとき私はひねくれているのか、ふっ観光客向けだな、と思ってしまった)と言われて受け取った8個500円のたこ焼きが、これまた本当に美味しかった。こんなに美味しいたこ焼きは生まれてこのかた初めて食べた。美味しい、本当に美味しい。あまりにも美味しい。

 

たこ焼き片手に商店街を引き続き歩き、なんとなく天王寺の方に歩いていった。御堂筋など「〜筋」が多いのも、大阪の特徴であるようである。私は先程の女性との会話などから、少しずつだが「梅田」と「なんば」の違いなど、大阪がわかるようになってきた。ああ、大阪か、悪くないな。そう思った。ここで自分は4月から暮らしていくんだ。見ていなかったメールボックスを見ると、朝方照会していた弟のおすすめ物件を扱う不動産屋からメールで、照会した物件はすべて埋まっているとのことだった。つまり、私の結果が(偶然も手伝って)最高のものであったということだ。まあ、「運命は勇者に微笑む」ということか。

 

そんなこんなで、大阪との距離が少し縮まった一日であった。

 

 

(おまけ)