午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

4度目の緊急事態宣言

前回「うまくいかない」というブログを書いたあと、すぐに自分の姿勢を見つめ直し、淡々と研究をこなすスタイルを確立し、恋人とも楽しく過ごしてかなり充実した日々を送っていた。

 

しかしながら、ここにきて唐突に大阪に緊急事態宣言が発令されることとなった。いや、唐突でもなんでもない。およそ1ヶ月前には今頃に出るだろうと思っていた。私はどうやら、人一倍、いや、人百倍くらい緊急事態宣言に対してストレスを感じるらしい。

 

東京ではオリンピックが開催されている。本稿執筆時点で、予想通り(小学生でもできる予想だ)東京は過去最高の新規感染者数*1で、日本全体でも感染者が増えている*2。私の予想では、少なくともむこう3ヶ月は緊急事態宣言が出続けるだろう。制御に失敗して、今年中ずっと出ているかもしれない。東京パンデミック2020である。デルタ株の次はオリンピック株などと呼ばれるようになるかもしれない。

 

政府は国民の命よりもオリンピックが大事らしい。指数関数もわからない人間が政府の指揮をしているのかとしか思えない。オリンピック=太平洋戦争に置き換えると、この国の政府はいつもこうやってやってきたのだろうと思う。現実を見ずに根拠のない主張を壊れたラジオのように繰り返す。実際には大敗しているにも関わらず連日戦勝を報じる大本営発表、「開戦する」ことだけをトップが決めて下はだんまり、誰も責任を問われない体制......

 

そんな政府を生み出しているのは、まぎれもなく国民である。直近の世論調査*3でも自民党政党支持率が断トツ一番高いことにはもはや絶望しか感じない(無党派層を除く)。そりゃ、なめられもするわと思う。これだけめちゃくちゃなことを何年もやっていても支持率が下がらないのだから。日本はまれにみる、国民が自発的に望んだ一党独裁国家なのかもしれない。

 

「ふつうの」一般市民が自分の政治的意見というものを発言する機会も土壌もない。そういう人たちは「意識高い」とか「色物」扱いされてしまう。長いものに巻かれるのが国民のモットーだ。強いものに逆らうのは「ダサい」と思うのが国民性だ。意見を言う人はすぐに左翼だ右翼だのなんだのレッテルを貼られ、「めんどくさい」人扱いされてしまう。考えることをめんどくさがって、思考停止する。安易にカテゴライズするのも、考えるのがめんどくさいからだろう。

 

日本人はうぬぼれている。外国人に日本を褒めさせる番組を見ていると恥ずかしくなる。いつまでも昭和の成功例に閉じこもる。そしてこれが一番大事なことなのだが、都合の悪い現実を正面から見ようとしない。都合の悪い事実の前には都合よく記憶喪失が起こる。だから、日本の酷暑の対策を「できる」と信じてなにもやらなかったのだろう。何十年も日本の夏を過ごしているにも関わらず、そういうときには都合よく日本の夏の酷暑をわすれてしまうのだ。そして日本人は、集合的な自ら(ユング派的な意味の)影と向き合おうとしない。そういう意見は和を乱すとかいって排除される。

 

日本は沈むかもしれないが、自分は一緒に沈みたくない。自分には関係ない、そう言っているうちに、あなたの生活は沈んでいくだろう。ナチス時代のドイツの牧師マルティン・ニーメラーはかつてこう言った。

 

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義者ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、
誰一人残っていなかった