午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

愚かさ

ローマ教皇が広島で祈りを捧げているのをテレビで見た。その目は、宗教者そのものであった。私がかつてカナダのホームステイ先で見た、神について話すイスラム教徒のイラン人ホストファザーと同じ眼であった。

 

演説を聞いて、人間は本当に愚かだと思った。核を落としたのも人間であり、その場所で祈りを捧げるのも同じ人間である。原爆を落としたのと、祈りを捧げているのは別の人間なのだと反論するかもしれない。しかし私(たち)の心の中には、無数の原爆を落としたアメリカ兵がおり、命令した上層部がおり、原爆によって命を落とした人々がおり、そして祈りを捧げる教皇がいる。愚かだ、本当に愚かだ。しかし、その愚かさが希望なのかもしれない。

 

最近、人類の滅亡ということを考える。それは、もはや一部の新興宗教のみならず、ふつうの人々の間でも現実味を帯びてきている。ヨーロッパではExtinction Rebellion(絶滅への反逆)という名の社会運動がおこり、国連では高校生の少女が気候変動への対策を求める。しかし私には、人類の滅亡というのはどこか温かみを感じるものである。むしろ心のどこかで、滅亡してほしいとすら思っているのかもしれない。

 

心に虚しさを感じる。虚しさは、私の存在を根本から脅かす。それに対抗できるのは、自分としては仏教ではなくて創作である。最近、再び筆をとった。少しずつ、少しずつ書き足している。完成まで5年は覚悟している。少なくとも、書いている間は、生きていられる。魂の叫びを、どこかに残したい。そう思って書いているのである。