午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

出会いと別れのなかで

大都市のベッドタウンである地元の都市は、高齢化が進んでいるのははっきりわかる。その街で、毎週夜に一人暮らしである祖母とターミナル駅のレストランのある階で食事を共にしている。

 

こう書くと聞こえはいいが、平日の夜にそこで食事をしているのは高齢者ばかりである。こっちに帰ってきてから1年もたてば、もういくつかのレストランのスタッフも同じ顔ぶれであることがわかる。彼らと同じような会話をし、まるで壊れたラジオのように同じことを繰り返す祖母。

 

私は彼女のことは愛していたが、正直耐えられないと感じることもたまにあった。特に、今日のように東京から帰ってきて、自分がエネルギーに満ち溢れているときはなおさら、まるで祖母がこの高齢化が進んだ街の単調な生活のすべてを象徴した存在のように思え、生気を吸い取られるような気がした。彼女には申し訳ないが、自分の心に嫌なものを取り込んでしまった感じがする。誰しも、「あそこが病気だ」とかそういう話を延々と聞かされると嫌気がさすだろう(幸いにも、祖母は極めて健康であったが)。

 

現代社会は若者的な消費・労働の上に成り立っているので、高齢者であることはそれだけで剥奪されている状態である。セルフレジにすぐ適応できるのは若者であって、高齢者ではない。その高齢者が多くを占めているのが現在の日本である。歴史上、未だかつて若者より高齢者の方が多い時代などなかっただろう。

 

帰り道、彼女は私の腕を強く掴んで、「一緒に帰ろう」とせがむように言った。私は「論文を書かなければならないから」と言って図書館の前で別れた。その間、私が自分のうちに感じたのは、愛すべき自分を育ててくれた祖母に対する暖かい感情や愛情ではなく、ほどんど知らない人に対するのような冷たい感覚と寒気だった。自分の心をもっと微細に観察すれば、自分は心を鬼にして、同情する自分を抑圧してつとめて冷静に振舞っていたことがわかった。

 

おそらく、今日の「一緒に帰ろうよ」という祖母の声は、一生忘れることができないと思う。少しでも自分の抑制がぐらついてしまえば、彼女に対する自分の、心のそこから溢れるばかりの愛情と悲しみが雪崩をうって噴出してしまいそうだった。それは際限がなく、無限の悲しみと苦しみ、同情と愛情の中に自分を突き落とす。私と彼女の間にある共通の「敵」は、彼女の死という迫りくる現実だった。

 

それは枯れかかった生命に対する、無意識の一種の抵抗なのだと思う。

私は、残念ながら彼女と一緒に死ぬことはできない。他人の苦しみに飲み込まれても、その自分が感じる苦しみは偽物の苦しみだ。一緒に飲まれてしまったら、それは彼女のためにもならないと思う。一度飲まれれば、無限に要求が肥大化してしまうだけだろう。

 

死ぬことは、ひとりで引き受けなければならない。なんて残酷なんだ、と思う。自分が死ぬときは、きっと醜態をさらしてみんなに哀れにも嘆願するのだろう。「一緒に死んでくれ」と。あるいは「最後を看取ってくれ」と。しかし個人化が進んだ現在、最後を看取られるのは幸運な人だけであるように思える。それが今の社会だとしたら、あまりにも残酷すぎる現実である。