2018も今日で終わりである。
礼文島生活に始まり、大学院進学、ラオス農村に滞在、出会いと別れ、非常に充実した1年だった。
私が今まで追い求めてきたもの、そして追い求めているものとは何か。
それは、「本当のこと」である。
本当のこととは何か、本当と本当でないものの差は何かとすぐに尋問にかけられそうだが、私にとって本当のこととは、私の直感が了解可能なもの、である。
本当の言葉、本当の魂、本当の説明、本当の理論。
言葉は嘘をつく。魂も抑圧された結果、偽物が表層に現れることがよくある。というか、そうすることで社会は回っているのだろう。
しかし「本当の経験」という言い方は成り立たない。「経験は本当」が正しい。
もちろん、私たちが手に入れることができる「本当」は、推測統計学的には未知の母数θに対するθハットに過ぎないわけだが。そして、母集団の分布の仮定も、ただの仮定にすぎず、絶えず本当とのずれがある。
ここでいう本当とは、<<現実>>あるいは<<存在>>と言い直してもいいのかもしれない。
この1年間、この<<現実>>を、主に社会学的なアプローチで1mmでもすくい取ろうと努力してきた。以前はそれを文学のアプローチでやろうとしていたし、その方法もまだ諦めていない。
「本当のこと」を曝け出す姿勢は、研究や創作だけでなく、自分の生き方そのものと密接に関わっている。
自分の本当の声に忠実に生きる。
それだけが、自分が積み重ねてきた生き方と言える。
高校生のとき、私が英語の授業中に窓から雲を眺めていると、担任でもあった英語教師が「人生前向き」と言いながら後ろから手で私の顔を前に向けた。
人生はあくまで前向きに。
それでは良いお年を。