最近、大学図書館の最上階で院生のみが使える研究個室があることを知り、そこでこもって授業の準備や研究している(文系の研究は、本とパソコンさえあればどこでもできる)。
先程、授業での発表が終わり、コンビニで淹れたコーヒーを飲んで一息ついている。最近、採点バイトを期間限定で入れたこともあり、忙しい日々が続いていた。
忙しいだけではない。恋人に別れを告げられ、しかもかつて同棲していたために荷物を受け取らなければならないという状況をずるずると引きずり、今日まで至っている。
朝起きると、新しく始まる今日という日があまりにも辛いので、カーテンを開けて朝日を意図的に浴びるようにしていた。
本当に辛いときは、小説を書く気力すら起きないことを知った。何度も生まれてきた意味を疑問に思った。そしてそれは続いている。
今、自分はコーヒーを飲んでいる。不思議なことに、どんな他人の部屋であっても、そこでコーヒーを飲めば不思議と自分の部屋のような感じになる。
夜、果てしなく続く孤独と寂しさを感じる。我々がどこに向かうのか、それは誰にもわからないが、年を重ねていくことだけはわかる。
誰にも理解されないまま生き、誰にも理解されないまま高々80年程度でこの世界から静かに退場する。自分は簡単に「理解」されることを強く拒む種類の人間なのだと思う。他人に理解されたくはない。しかし「解釈」はされたい。それが自分の内なる秘めた願いである。