午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

「桃岩荘」に泊まって感じたこと

礼文島には、「桃岩荘」というユースホステルがある。「日本3大バカユース」と言われており、その歴史は古く、全国的な知名度は高い。

 

「桃岩荘」は礼文島に住んでいても近寄りがたい存在だ。桃岩荘はただのユースホステルではなく、独特の文化を持っている。毎日彼らは夕日に向かって叫び、フェリーターミナルで踊りながら宿泊者を見送っている。そんな桃岩荘に、関東から来た友人2人と泊まってみた。そのとき感じたことなどを書こうと思う。

 

この施設に泊まって感じたのは、知り合いがやっている障害者福祉施設、「アルスノヴァ」の雰囲気との類似点だ。アルスノヴァは、ただの福祉施設ではなく、障害がある人、ない人すべての人の居場所作りを標榜しており、集まっているスタッフも変わった人が多い。桃岩荘のスタッフは「ヘルパー」と呼ばれており、常連の宿泊客がヘルパーになっているらしいのだが、それらの雰囲気がアルスノヴァと似ている部分があった。

 

「桃岩荘」には半日しか滞在していないため、断定は避けたいのだが、あえて大胆に言ってみると、桃岩荘には「社会からのはぐれもの」のような人々が集まり、独特の雰囲気を形成していた。それはアルスノヴァで短期バイトをしているときにも感じたことだ。そして、私自身はこの「独特の雰囲気」が正直苦手なのだ。

 

私はこの「独特の雰囲気」がなぜ嫌いなのか?1つ目の理由は、その雰囲気の隠された排他性にあるような気がする。「誰でも受け入れる」「どんなことでも理解する」と標榜しながら、実際にはそれらの価値観や文化に少しでも反したことを表現したりすると、たちまち病原菌のような扱いをされてしまう(気がする)。

 

2つ目の理由は、1つ目とも関連するのだが、その「嘘臭さ」にある気がする。「桃岩荘」に泊まった後に私の友人が言っていた一言が印象的だったので、周辺の状況も含めて紹介したい。

 

「桃岩荘」のミーティングの歌と踊りのクライマックスの後、司会進行をしていたヘルパーはこう言った。

「自分が桃岩荘に来る前は、会社員として受動的な生活を送っていた。しかし、自分は桃岩荘に来て、何事も自分で決められるようになった。人生が大きく変わった

それに対して、私の友人は「あいつ(司会者)のやっていることは、結局サラリーマンと同じじゃないか。桃岩荘で用意されたものをそのままやっているのにすぎないのに。というかヘルパーだって雇用されてるんでしょ」と冷めた口調で述べていた。

 

結局私は、両者が持つ「偽物の逃避」とでも言えるような状態に陥った人々に対して嫌悪感を抱くのだと思う。そう言う人ほど、自分の立場(自分が属している特殊なコミュニティの教義)を熱心に説明し、それを受け入れない人々を攻撃する傾向にある気がする。

 

どんな思想を持つのも自由だと思う。単純に、私はこれらの存在形態が受け入れられないだけだ。にもかかわらず、それらの特殊なコミュニティに一定の関心を持っているのは、私自身が抱える問題(閉塞感、空虚さなど)の答えのヒントになる部分をそれらのコミュニティが有しているように感じるためだと思う。言ってみればそれらのコミュニティは、私にとっては社会の間違った別解なのである。