午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

神々がいた時代

今日は京都御所の特別公開の最終日だったので、朝早く起きて行ってみた。最終日の今日まで行かなかったのは、前日まで天気が優れなかったからだ。

 

待った甲斐あって、晴天の下、普段は入れない御所を満喫することが出来た。その中でも私の目を引いたのは、天皇が座るという椅子である。椅子の背もたれが鳥居の形をしていた。そんな形状の椅子を見るのは生まれて初めてだった。その象徴性が、私の興味を惹きつけた。

伏見稲荷に代表されるように、思えば、京都に来てから嫌というほど鳥居を見た。午後に東京から来た大学の友人と行った奈良も合わせて、最近毎日のように寺社巡りをしている。そこでは天皇と神社、神主と神社、僧と寺院など人々と宗教の自然な関わりを見ることができる。山の中にぽつんと作られた鳥居を見て、昔は神々と人間、象徴と実在、意味と無意味が自然に同居していたのだな、と考える。もしかしたら同居しているというよりも、「こちら側と向こう側」として、鳥居を隔てて隣接していたのかもしれない。

 

現代において、神は死んでしまったのだろうか。科学の名の下に、駆逐されてしまったのか。それは新興宗教という形で現れているのか。

 

新興宗教などというと差別的な視線で見られる。精神の根底は神代と変わらない我々人間にとって、現代とは生きづらい時代なのかもしれない。かつての神主や僧侶は、今ではセラピストや精神科医と呼ばれている人たちなのか。そんなことを書きながら、今夜も縁もゆかりもない京都の大学のキャンパスを闊歩する。

晴耕雨読

今日の京都は、天気こそ良かったものの気圧が低く、案の定午後から曇り空に変わってきた。弟と四条の大丸へ行き、それから大学のカフェテリアに向かった。

 

最初、気圧の低さに逆らって活発に動き回ろうとしたが、苛々が募るばかりで、それは対応の悪かった配達業者と電話した際、頂点に達した。そこで私は方針を変え、家のピアノで曲の練習をし、読みかけだった本の続きを読むことにした。苛立ちは徐々に消え、心地よさが増してきた。

 

無為徒食の身で、生活の理想を追い求めているが、やはり「晴耕雨読」に勝るライフスタイルは無いような気がする。電気やエアコンの類が発明されたばかりに丸の内のオフィス街はいつまでも煌々と光輝き(東京の夜景はブラック企業社畜によって成り立っているという冗談を思い出した)、雨が降って気分がすぐれない日は薬を服用することで人間を生産のバイオリズムに適応させる。

 

無為徒食の日々を続けていると気分が鬱屈とするのは免れない。まるで、伏見稲荷の鳥居の森に迷い込んだような心持ちだ。低気圧と自殺の相関性についても気掛かりだ。しかし、それでも生きていくしかないらしい。生活の技術とは、生活にまとわりつく不快な要素をいかに快に転換するかである気がする。

来週には、仙台へと飛行機で旅立つ。

京都

東京の下宿を手放して、長崎で居候生活を始めてから数日が経った。

長崎から京都に飛んだ。京都御所の近くに部屋を間借りし、 気の赴くままに同志社大学のラウンジでくつろいだり、四条や「哲学の道」沿いにあるカフェで物思いに耽ったりする。時間の許す限り、出されたお茶を飲みながら、ゆったりと本を読む。世話好きそうなカフェの女性と帰り際に談笑する。

 

京都ほど町歩きに適した街は無い。何気なく通りかかる小さな店が面白い。

東京の下宿先を家具も含めてすべて処分した際は、我ながら何を考えているのかと思ったが、今となっては手放して正解だと思えるようになった。私は、風のように、つかの間の自由を楽しんでいる。

 

紅葉の秋が近づいてきている。お寺を巡り、石庭を見て、「日本人は静粛を好むのか」と月並みな感想を抱いて納得した顔をする。金閣は分かりやすいが、私は質素な銀閣の方が良いと思う。

銀閣から哲学の道を歩き、南禅寺へとたどり着く。平日の、シーズンでない今は人もまばらで、聞こえるのは鳥の声、川のせせらぎ、赤くなりはじめた木々がそよ風に揺れる音くらいである。夕日に照らされた木々はとても美しい。この世には美しいものが多すぎて、その何千分の一も書き留めることができない。私はため息をつく。

 

まだ来て数日ほどしか経っていないが、早くも私は京都の複雑な世界に魅せられつつあるのかもしれない。

長崎

長崎くんちは終わった。

くんちを見物した後も、なかにし礼の『長崎ぶらぶら節』を読みながら、くんち、そして長崎という町の余韻に浸っていた。

 

本を閉じると、丸山の遊郭から自宅のリビングへと意識が戻る。

 

窓の外を見ると、長崎は秋晴れだった。女の子は仕事に行ってしまったので、私だけが部屋に残っている。

 

他人と暮らすのはとても面白い。寂しさや孤独も紛れる。しかし彼女は私のすべてを知っている訳ではない。私も同様だ。

他人に理解されたい、しかし理解されることが困難な私が私の中にいると思う。孤独、あるいは秘密と言い換えてもいいのかもしれない。伝わらないと知りながらも、伝えたい気持ちが抑えがたいものとなったとき、人はどう振る舞うのだろうか。

 

お昼どきが近づいてきた。身体は正直だ。ちゃんぽんか皿うどんか、焼きカレーベトナム料理か。尽きない悩みだ。

長崎

 

長崎ぶらぶら節 (新潮文庫)

長崎ぶらぶら節 (新潮文庫)

 

 

長崎に来て一週間以上が経った。正直ブログを書く気は全く無いが、変な義務感のようなものから、この記事を書いている。

 

ここ長崎に巨大な建物は存在しない。すし詰めの地下鉄も、毎日がお祭り状態のスクランブル交差点を有する地区もない。空気も悪くない。空は綺麗だ。それだけで、かなりのストレスから解放される。

 

路面電車に乗って、毎日図書館近くのカフェに行き、ゆったりと本を読み、眼鏡橋でほっと一息をつく。飽きてきたころ、長崎港に夕日を見に行く。今の私には、反発すべきものなどないし、ただ、ゆっくりと時が流れていくのみである。

 

現在、秋の大祭「おくんち」が開かれている。テレビをつけても、長崎新聞を読んでも、その話題で持ちきりだ。おくんちとは、各町が出し物を出して練り歩く、というものらしい。街を歩いていると、いたるところで笛の音を耳にする。山車や蛇踊りにお目にかかる。変わり種としては、「オランダ万歳」なるひょうきんな出し物がある。眼鏡橋付近を和傘を傾げて歩く和服姿の女性を見ると、洒落ているな、と素直に思ってしまう。

 

旧正月のランタンフェスといい、お盆の爆竹といい、おくんちといい、長崎市民は派手にやるのが好きなのか。墓の文字はどれも金色だ。この街にいると、ブリュッセルに滞在していたときのことを思い出す。ブリュッセルも、市内をトラム(路面電車)が走る、多文化を内包する穏やかな街だ。

 

過ぎ去った生活、東京のことも考えないでもない。これからの自分についても。しかし考えても仕方がない。私は、くんちを見物する。

 

逃避行

長崎へ来て数日が経った。私は今、港の近くにあるカフェのテラスでのんびりと景色を見ている。長崎港に停泊する漁船が風に吹かれて揺れている。今日もよく晴れている。

 

相変わらず、無気力にとらわれている。毎日が淡々と過ぎてゆく。私が見る限りでは、この街はとても静かだ。ここまで離れて、改めて東京にいた自分の姿をある程度「客観的に」眺めることができる。しかしそれは、少なくとも短期的には1円の収入にも結びつかない。この事実は私をさらに苛立たせる。

 

長崎市には立派な市立図書館が存在する。私はエドワード・サイードの『知識人とは何か』を借りて読了した。以前から気になっていた一冊だった。最初、私は強く共感し、途中、冷静になり、最後の方には理由の分からない嫌悪感に襲われた。もしかしたらそれは、自分自身に対する感情なのかもしれない。

 

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

 

 

時たま言いようのない孤独を感じる。何に対する孤独なのかはわからない。それは、強い光源に向かおうとする際にくっきりと現れる影のようなものなのかもしれない。社会システムからの分離による葛藤、自分が何者かになるための葛藤、1円にもならない葛藤。私は、いつまでカフェで本を読むだけの生活を続けるつもりなのか。私は何もしていない。作品を創る気にもなれない。ただ、毎日、食べる喜びを強く感じているだけの日々である。

 

ただ、今の自分が唯一持っているものがあるとすれば、それは何かからの逃亡への欲求である。

東京難民

今日、大家さんに鍵を渡して都内のアパートを出た。彼にお餞別に頂いた缶のサイダーを飲み干すと(こういう気遣いが素直に嬉しい)、今夜泊まる友人のアパートがある街へと向かった。

大きなスーツケースとカバンを持って、駅の近くのマクドナルドに入った。今、私が持っているスーツケースとMacBookは、学生時代に長期でヨーロッパを放浪した時、アフリカの砂漠に行った時にも、お供として付いていてくれたものだ。今の気分は、旅行者のそれに近い。私は明日、長崎へと発つ。

 

今の私の持ち物は、生活に必要最低限のもののほかに、何冊かの本、たとえばドストエフスキー地下室の手記』、Macbookが2つ(母艦とAir)、iPhone、それにコートだ。私は友人の帰りを待つ間、マック3階の窓から夜の街を見下ろして、とりとめのないことをただぼんやりと考えている。

 

かつて、浮浪罪というものがあったらしい(1948年に事実上廃止)。住所を持たないというだけで、国家や社会は、私のことを犯罪者、あるいは予備軍として扱うのであるのだろうか。かつて、黒人と白人の犯罪率の差の数字を根拠にして、黒人のタクシー乗車を拒否するのは正当かどうかを争っていた、というような話を聞いたことがあるが、「拒否するのが正当だ」と考えるのが社会の大勢の見方なのであろうか。とすれば、今の私は、社会からどのように見られるのか。

 

ひとつわかっているのはーー私が自分に対して言えることはーーいかなる状況にあっても、私は、私として生きていかなければならないということだ。「自分が生きている時代を愛せ」そんなことを須賀敦子も言っていたのを思い出しながら、私は暖かい布団に想いを寄せていた。