午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

assertionからargumentへ

修論のドラフト提出間近にあって、壁にぶつかっていた。

 

しかし「壁」は、ふとしたきっかけで、乗り越えることはできないにしても相対化される。私の場合、打開のきっかけは友人とのラインであった。「壁」を感じた日の夜、ラインで得たきっかけをもとに満月を見ながら走って考え抜いた。そして一本の道筋が見えてきた。もちろん、今でも油断は全くできないが。

 

修論の中間発表後に陥っていた、"Writer's block"と呼びうるその壁の正体が今日になってわかってきた。それは、そもそも研究に完璧などないこと、私(たち)に要求されているのは世界を閉じることではなく開くことであること、である。今まで、私は「論」「文」において本当の意味で議論(discussion)をしていなかった。自分の手法や結果に対する反論を、自分の議論に組み込んでいなかった。それはただの結果の言いっぱなしの主張(assertion)にすぎず、自身の手法や結果の限界に誠実に向き合っていなかった。なぜ向き合わなかったのか、その根底には恐怖がある。自分の手法や結果は間違っているかもしれない、という。

 

しかし、それは科学という営みからくる正当な、あるべき恐怖だ。なぜなら、経験科学の主張(thesis statement)はすべて反証可能(falsifiable)なものだからだ。そして社会科学が扱う社会は、複雑怪奇なものであり、単一の原因が存在するわけではない。常に他の要因が考えられる。私に求められているのは、エビデンス や論理に基づいて、その主張が今のところ正しいということを論じること、そしてその命題が学者コミュニティや社会にとって重要であることを納得させることである。

 

これらのことは、すべて教科書に書いてある。しかし、実際にやってみて、はじめてひとつひとつを理解できる。私は今その作業をしているのだとつい数分前に認識した。自動車の運転方法を教科書で読んだって、実際に運転しなければまったく理解はできない。それと同じだ。

 

あと、ドラフト提出まで一ヶ月半。爆速で駆け上がるしかない。ときにはビールを飲みながら。

 

(参考文献)

 

リサーチの技法

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社会科学系のための「優秀論文」作成術―プロの学術論文から卒論まで

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