午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

ごくたまに、このブログを読んでいる人の話を聞く。正直、このブログを消そうとしたことが幾度となくあったのだが、それが今日までこのブログを細々と続けている理由である。

 

友達、あるいは友達の友達、私の全く知らない人が私の友達以上に熱心に読んでいるとか、そんな話だ。そして、私にとっては見知らぬ人が少しだけ救われていることを間接的に知る。

 

直接的には私のためにこの文章を書いているのであって、彼/彼女のためではない。しかし、それで救われるというなら、それはそれで嬉しいことである。

 

話を聞く限りでは、水面から顔を出すか出さないか、そんなところで毎日生きている人がいるらしい。というか、実はたくさんの人たちが、他の人が何も気にせずふつうに歩いているような水面の下で、沈んでいかないようにギリギリのところでもがいている。彼らは、普通の人が確固たる地面だと確信して気にもしないような、本質的な諸前提についてもがいている。

 

この文章が、そういう人たちの力になればいいと思う。私にできることは、彼らの話を直接聞くことではなくて、このブログの文章を通して魂の奥底を直接言語化することである。それは、ある意味で彼らの、つまりあなたの話を直接聞いていることになるのだ。確かに、私はあなたに会ったことがないかもしれない。たとえ毎日顔を合わせていたとしても、本当の意味で「会った」ことはないのかもしれない。だがある意味で、私はあなたのことを他の誰よりもよく見ている。知っている。そして、私はあなたの力になりたい。

 

それはつまるところ、祈るということである。

けれども私は、あなたに解決策など与えたりはしない。それは、あなたにしかわからないし、もっといえば、あなた自身もわからないものだ。

 

なぜなら、あなたが抱えているものはあまりにも大きいし、それは人類、世界全体の問題でもある。つまり、その問題の構造がわかったところで、本来どうしようもない種類のものだ。私にはただ、あなたのために祈り、救いようのないこの世界を対象として見つめ、たとえ気休めであったとしてもほんの少しの間問題から自由になるような錯覚を与えることしかできない。

 

心配はしないでほしい。このブログの根底にあるのは「生の哲学」であり、生きるための考察である。あなた自身、いかにして生きるか、それを考えるのを放棄しないでほしい。このブログに惹きつけられるということは、どこかしらそれについて考えを巡らせているということだと思う。それは他のスタートダッシュして疾走しているまわりの人と比べればひと回りもふた回りも遠回りに見えるが、それでも、それはあなたという人間にとって、もっとも早く、そして効率の良い方法、逃げないでいるための道だ。あなたが辿ってきた道は、決して間違った道ではない。生きるために悩み苦しむこと、それはすなわちあなたに才能があるということを意味している。人は、それぞれに与えられた才能の分量だけ悩むのだ。しかしそれは決して、大きいとか小さいとかの問題ではない。それぞれが、それぞれに尊い

 

私は今、様々な「あなた」を想像しながらこの文を書いている。あなたはもしかしたら普段他の人からはそんな根本的なことを考えるような人には見えないと認識されているのかもしれない。あるいはいかにもうまくやれない、馴染めないというタイプの人なのかもしれない。しかし、いろいろな「あなた」がいて、社会が成り立つ。それは本当に素晴らしいことであるし、美しいことであるし、不思議なことでもある。私はこの不思議さに取り憑かれて社会学という学問を選んだ。

 

生きることは、それ自体に意味があり、価値がある。社会とは、なるべく多くの成員の生存を確保するための仕組みであり、人類の発明である。礼文島生活を経て、私はそう結論づけた。

生きる意味は、生きることそれ自体にあり、生きる目的は、生きることそのものである。このトートロジーこそが絶対に破られない最強の論理であり、思考の無限後退における終着駅にあるものだ。

 

あるいは私の言っていることは、あなたにとっては全くの見当違いかもしれない。しかし、あなたはひとりではない。生きることに真剣に立ち向かおうとする人間は、あなた以外にも少なくともひとりはいる。

 

あなたが生きていること、それこそが価値のあることであり、私の伝えたかったことだ。それはおそらくあまりにも当たり前すぎて、あなたが素通りしてきたことだろう。

 

そのひとりがまあまあうまく人生を回していること。それを知って、あなたが私を乗り越え、私以上にうまくやってくれればいいと思う。日々の具体的な問題の奥に潜む深淵な哲学的問題に出会った時、ささやかでも私の文章があなたの苦難と共にあれたら、これ以上の幸せはない。