しばらくぶりであるが、もしかしたらたまにこのブログをのぞいてくれている人がいるかもしれない。
そんな人たちに向けて、記事を書きたいと思う。
今、学部時代の友人にもらった和紅茶を飲みながらこの記事を書いている。
決して安くはない和紅茶と、近くの100円ローソンで買ったシュークリームの組み合わせだ。悪くない。
和紅茶は、先週訪れた宮崎県の「秘境」椎葉村に学部時代の友人たちと旅行した際にもらったものだ。(学部時代の友人「椎葉君」が、椎葉村を案内してくれた)
椎葉村にて、私たちは久々の再開を喜んだ。
椎葉君は政府系の貿易機関を2年で辞めた後、千葉県で地域おこし協力隊として活動している。将来は椎葉村と貿易機関で働いている際に知ったアフリカの国・ルワンダをつなぐ何かをしたいそうだ。
もうひとりの同行者、紅茶君(仮称)は大学卒業後、大学院に受かっていたものの辞退し、家で自分と向き合う作業を2年ほど続けた後、紅茶専門店で働き始め、自分の道を見つけつつある。彼はほぼ毎日かかさずPSPでウイイレをやり、それをブログに書いている。
winningeleven2014woyaritsudukeru.hatenablog.com
そんな彼らとともに椎葉村を周り、お茶工場などを見学したのち、椎葉村のメインイベントである焼畑を見学した。
焼畑には、東京から来た移住先を探すサラリーマンの人たちなどがたくさん来ていた。さながら観光イベントのように、現地のひとたちは山の神に向かって祈りを捧げたのち、畑を焼いた。
椎葉村に何かがあるかもしれないという直感は確かにあったが、私の目的はそれよりも友人に会うことだった。
私は彼らが葛藤していた時期を知っているだけに(同じように自分自身も葛藤していたのかもしれない)、何かを見つけた、あるいは見つけつつある彼らはとても魅力的な人間であるように私の目には映った。
彼らは魅力的になったわけではない。もともと魅力的だったのだ。彼らはそれを自分自身の中に「発見」したにすぎないと思う。
椎葉村での束の間の再会は、私にとってとても楽しいものだった。
そしてやはりどこへ行っても、私が最終的に出会うのは人の営み、すなわち「社会」そのものであった。