午後の雨

らくがき未満

荒野のおおかみ

雨が降る中、家の中でヘルマンヘッセ『荒野のおおかみ』を読了した。

 

今の自分にとって、質の良い文学や芸術は、日常生活から束の間の自由を錯覚させる麻薬のようなものだった。

 

この2年ほど、日常生活、事務室の規則的なチャイムの音に魂を売り渡すことで今いる家や毎月の給料を手に入れる悪魔的な取引の結果である日常生活によって、私は無意味な浪費を強いられていた気がした。

内省するべきエネルギーを、他人の欲求の充足のために振り向けなければならないような日常生活によって、私は自由を奪われていた気がした。

 

3連休の最終日である今日の昼下がりは、文学の助けを借りて、そうした労働させる権力の目をかいくぐって、束の間の内省を手に入れることができた。ゴミを捨てに行く途中に見かけた草の上に落ちた雨粒、ベッドの上に落ちてきた白い羽根のゆっくりした軌道、そのようなものすべてを感じることができた。

 

つまるところ、大切なのは、一流のものを取揃えることよりもむしろ、自分の感受性を最大限に研ぎ澄まし、ささいな日常世界にかすかに香る神の匂いを嗅ぐことである。

 

しかし、現実のせわしない世界の中では、少しでも感受性を研ぎ澄ませば、増幅された強い鉈のようなもので自分自身がボロボロにされてしまう。それゆえ平日私は心の耳を塞ぎ、心の目を閉じ、ただ心の中で縮こまって怯えているのをひた隠しにしながら慎ましく生きているのだ。

 

私の心地よい内省は、近所のおばちゃんが獲れたてのイカを大量に持ってきたことで破られた。他の人同様、そのおばちゃんがなぜ私に厚意をしてくれるのか私にはわからない。私の心の奥底にある弱さというか脆さが、ある特定の人々を惹きつけるのを私は知っている。しかし、それをして私の心の孤独を癒すことはできないことを私は今まで学んできた。私は、弱さと依存よりも、強さと信念を好むようになってきた。しかし、両者はコインの両面である。

 

自身の内に潜む創造性の影を捉えながら、私は今日も誰かの側で生きているのだろう。