午後の雨

らくがき未満

「生きづらさ」の正体

生きづらい。ひとりの若者として、漠然とそんなことを感じていた。私だけではない。街を歩けば、テレビをつければ、SNSをのぞけば、そこには「生きづらさ」の言説が溢れている。しかし、それはなぜだろう?私は、ずっとその正体について漠然と考えて来た。

 

生きづらさ。その特徴はまず、見えないことにある。原因がわからないにもかかわらず、確かにそれはある。時に「死にたい」と思うほど深刻で強力なものであるにもかかわらず、それが何なのかがわからない。

 

ひとつ思いついたのは、その正体は「恐怖」ではないかという仮説だ。

 

下流老人」という言葉が世間を騒がせた。ホームレスを見た若者が、真剣に「自分もそうなるかも知れない」と言う。問題は、いつ、どこで、誰がそうなるのかがわからないこと、そしてその対象が個別であることだ。それはあたかも、突然後ろから肩を叩かれて、そのままストンと「自分だけが」落とし穴にはまってしまうような見えない恐怖だ。そんな恐怖を抱えながらも、気づかないふりをして、笑顔で生活している。そして、先に落とし穴に落ちた人を見て、「自己責任」だと非難する。備えが足りなかったのだ、と。

 

相対的貧困」という尺度がある。「見えない貧困」という言葉がある。社会は制度疲労を起こしながらも、脱落した人は「負け組」のレッテルを恐れ、何ごともなかったように繕うのである。

 

現代の福祉国家は勤労を前提としている。その上で、働けない人を保護する。現実には、雇用は地盤沈下しているにも関わらず、あくまでその建前を守ろうとするあまり、そこからこぼれ落ちた人を非難する。余裕がないのだ。

 

そんな社会は、楽しいのだろうか。

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