午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

戦争について、最近思ったこと

朝鮮半島関連の最近のニュースを見て、なんとなく思ったことを書き留める。

 

今、ニュースなどで、「北朝鮮に向かってアメリカが先制攻撃する」「朝鮮半島で戦争が起きる」などと煽られている。ネットニュースにつけられたコメント欄にも、戦争への願望で溢れかえっている。

 

「戦争はいけない」という。日本が最後に戦争をしてから何十年も経っている。

私たちは戦争を知らない。

 

もちろん、私は戦争はしたくない。仮にそういった状況に我が国がなる場合、投票権を持つ一国民として、全力で反対したい。

 

しかし、私の心のどこかに、戦争を渇望する自分がいるのもまた事実である。

それは清潔で息の詰まりそうな現実社会からの逃避、日常が破壊されることへの潜在的な願望、そういったものたちだ。おそらく、ネットニュースに書き込んでいる人たちも似たような心境なのだろう。そういった感情を持っている場合、隣国で戦争がおこるのは、自分たちの願望を満たしつつ、自分たちは痛手を追わないまま、正論を振り回せばよいので、都合がいい。

 

戦争は、あれやこれやの理屈や正義をつけてはじまって終わって評価されるが、実際のところは、人類の中にただ「戦争がしたい」という願望があるのだろう。

 

学部時代になんとなく読んだフロイトアインシュタインの書簡、「人はなぜ戦争をするのか」の中で、どうやったら戦争をなくすことができるかと問うアインシュタインに、フロイトは「それは不可能だ」と語る。フロイトいわく、人には生への欲動(エロス)と死への欲動(タナトス)があり、破壊衝動は人間が潜在的に持っているものであり、それゆえ戦争は起こると述べている。

 

人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス (光文社古典新訳文庫)

人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス (光文社古典新訳文庫)

 

 

昔から、争いには一定の神聖さが付与されてきた。自分の肌にインクを塗りつけて闘う昔の民族、騎士や武士。戦闘に権威が付与されるのは、それが単なる争いのみならず、人々を裁定するための象徴的な意味合いもあったからだと思う。

 

しかし、私たちは他の方法も知っている。選挙や法に基づく裁判、話し合い等々。

もし戦争のようなことになった場合、私は自らの欲動を認識しつつも、全力で戦争には反対したい。理由は単純で、私自身が死にたくないからだ。