午後の雨

らくがき未満

島にいた夢

2016年が終わった。私にとってはあっという間だった。

 

まるで、島にいたという長い夢を見ていたようだ。帰省した都会の空気は汚く、情報は多く、住み慣れたはずの街に強い違和感を抱いている。

 

島の生活、島の人々の価値観に同化したわけでも、賛同したわけでもない。彼らと私のものの見方は大きく異なっている。かといって、私は都会の人々が一般的に持つと信じられているのと同じ価値観を共有しているわけでもない。

 

自分の性格だろうか。都会を歩いていると、華やかな広告よりもむしろそこからこぼれ落ちてしまった人々に目がいく。それは浮浪者であったり、時代に乗り遅れた独居老人であったりする。彼らのなんとも言えない表情が私にはわかる。

 

それは、本当に彼らの声なのだろうか?おそらく、違う。

結局のところ、他人の考えていること、感じていることなどわからない。私は彼らの表情を見て、自分自身の深層から聞こえる生の声を聞いている。結局、私は、他人を媒介とした自分自身の意識の中に住んでいるだけだ。

 

それは独りよがりとは違う。独りよがりの精神的な引きこもり世界には他人が介在していない。それゆえに寒々しい、どこまでいっても空虚な世界が広がっているだけだ。その先には何もない。一方で、他人を介在した自分自身の意識世界には、生の血が通っている。温もり、声、呼吸がある。

 

自分の住み慣れた街を歩き、生暖かい夜の風を感じながら、私は果てしない孤独を覚えた。『社会』から追放されたような気になった。だが、それは生への熱望をも伴っていた。

 

「死んだように生きたくはない」それが20歳の時の自分の口癖だった。過去の自分に自らの存在の意味を問われている今、24歳の私は、その問いかけに答える覚悟ができている。死ぬ一秒前まで、自分は生きることを求め続けていきたい。不毛な被害妄想に陥ることなく、追放されてしまった苦しみや悲しみを生きることへの情熱へと転化したい。

そう決意した2017年の初日であった。

 

 

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