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神々がいた時代

京都

今日は京都御所の特別公開の最終日だったので、朝早く起きて行ってみた。最終日の今日まで行かなかったのは、前日まで天気が優れなかったからだ。

 

待った甲斐あって、晴天の下、普段は入れない御所を満喫することが出来た。その中でも私の目を引いたのは、天皇が座るという椅子である。椅子の背もたれが鳥居の形をしていた。そんな形状の椅子を見るのは生まれて初めてだった。その象徴性が、私の興味を惹きつけた。

伏見稲荷に代表されるように、思えば、京都に来てから嫌というほど鳥居を見た。午後に東京から来た大学の友人と行った奈良も合わせて、最近毎日のように寺社巡りをしている。そこでは天皇と神社、神主と神社、僧と寺院など人々と宗教の自然な関わりを見ることができる。山の中にぽつんと作られた鳥居を見て、昔は神々と人間、象徴と実在、意味と無意味が自然に同居していたのだな、と考える。もしかしたら同居しているというよりも、「こちら側と向こう側」として、鳥居を隔てて隣接していたのかもしれない。

 

現代において、神は死んでしまったのだろうか。科学の名の下に、駆逐されてしまったのか。それは新興宗教という形で現れているのか。

 

新興宗教などというと差別的な視線で見られる。精神の根底は神代と変わらない我々人間にとって、現代とは生きづらい時代なのかもしれない。かつての神主や僧侶は、今ではセラピストや精神科医と呼ばれている人たちなのか。そんなことを書きながら、今夜も縁もゆかりもない京都の大学のキャンパスを闊歩する。

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