午後の雨

らくがき未満

東京難民

今日、大家さんに鍵を渡して都内のアパートを出た。彼にお餞別に頂いた缶のサイダーを飲み干すと(こういう気遣いが素直に嬉しい)、今夜泊まる友人のアパートがある街へと向かった。

大きなスーツケースとカバンを持って、駅の近くのマクドナルドに入った。今、私が持っているスーツケースとMacBookは、学生時代に長期でヨーロッパを放浪した時、アフリカの砂漠に行った時にも、お供として付いていてくれたものだ。今の気分は、旅行者のそれに近い。私は明日、長崎へと発つ。

 

今の私の持ち物は、生活に必要最低限のもののほかに、何冊かの本、たとえばドストエフスキー地下室の手記』、Macbookが2つ(母艦とAir)、iPhone、それにコートだ。私は友人の帰りを待つ間、マック3階の窓から夜の街を見下ろして、とりとめのないことをただぼんやりと考えている。

 

かつて、浮浪罪というものがあったらしい(1948年に事実上廃止)。住所を持たないというだけで、国家や社会は、私のことを犯罪者、あるいは予備軍として扱うのであるのだろうか。かつて、黒人と白人の犯罪率の差の数字を根拠にして、黒人のタクシー乗車を拒否するのは正当かどうかを争っていた、というような話を聞いたことがあるが、「拒否するのが正当だ」と考えるのが社会の大勢の見方なのであろうか。とすれば、今の私は、社会からどのように見られるのか。

 

ひとつわかっているのはーー私が自分に対して言えることはーーいかなる状況にあっても、私は、私として生きていかなければならないということだ。「自分が生きている時代を愛せ」そんなことを須賀敦子も言っていたのを思い出しながら、私は暖かい布団に想いを寄せていた。

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