午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

ツアー旅行と一人旅

オフィスで倒れて救急車で運ばれてから、ずっと東京から離れた実家の部屋にこもって、今後の生活について考えていた。

ひきこもりに関する本は何冊か読んでいたが、自分がひきこもりたいと思ったのは初めてのことだ。誰とも話したくなかった。何日もの間、ただ、窓から溢れる夏の光に照らされて、雲ひとつない青空を見ていた。時間の感覚がなかった。何も考えることも、何をすることもできなかった。あらゆるものが死んでいた。しかし、本当に死んでいたのかは疑わしい。高熱が出た時、身体は横たわって何もしていなくとも、免疫システムは病原菌と闘うためにフル稼働している。それと同じように、ただぼうっと空を眺めているとしても、心の底は失われた自分の輪郭の再構築のために、きっと忙しく動き回っているのだろう。その証拠に、心の底から時折イメージの断片が脈絡なく浮かび上がって、ひとつの形として統合されていくのが意識に上ることがよくあった。私は、ベッドの上に寝転んで、これからの生き方を考えた。

 

学生時代、主にヨーロッパを何ヶ月もひとりで放浪していた。一方、旅先の観光地でツアーの団体客に会うこともしばしばだった。私も中学生の頃、ヨーロッパにツアーで行ったことがある。

ツアーは非常に効率的である。添乗員がいる。行き先も分刻みですべて決まっている。入国の際の書類も、レストランの予約も、何もかもが旅行会社によって用意される。私たちがツアー旅行でするべきことは、お金を払うことだけだ。後は、フルコースのように私たちの眼の前に、長々とした説明とともに次から次へと料理が運ばれてくる。

 

学生時代、留学先のトロントからニューヨークまでツアーで行ったとき、私はどうしてもその日の夜に催されるVillage Vanguardでのジャズライブに行きたかった。私はカナダ人の添乗員に無理を言ってツアーを離脱した。その瞬間から、ニューヨークの街に放り出された私たちの大冒険が始まった。私たちが行く1日前にあった銃撃戦で日本人が死んでいたこともあり、私はにわかに興奮した。終電を逃した夜中のニューヨークで、私は生きていることを実感した。

 

ツアーは非常に便利である。効率的である。しかし、帰ってきた後、一体旅行の内容のどれだけを覚えているだろうか?ツアーという『商品』を消費して、残るのはポーズを決めた『楽しそうな』写真である(もちろん、ツアーでないといけない場所もあるので、ツアーを全面的に否定しようとは思わないが)。

 

翻って、自分の部屋の現実に戻る。今、自分の手の中にあるのは、会社での安定した(と言われている)人生と、社会の底辺(と言われている)その日暮らしの不安定な人生だ。前者では、年金、保険料、家賃の補助から自己啓発まで、すべて会社がやってくれる。会社に行きさえすれば毎月固定給が入り、その上ボーナスまでもらえる。定年後は、自動的に積み立てられた退職金が支払われる。後者は、年金、保険料等の手続きはすべて自分でやらなければならず、自分で動かなければ稼げない。地獄を見るのは明らかだ。

 

さて、どうするかーー私は、目をつぶって、そのことについて考えをいつまでも巡らしていた。