午後の雨 / Rain in the Afternoon

らくがき未満 / less than sketches

礼文島

f:id:hayato_kat:20170325224700j:plain

礼文島暮らしも今日で一年が経過した。

 

今日一日は、東京から遊びに来た大学の同級生をフェリーターミナルへ送り届けるところからはじまった。そして仕事を終えた今、特に予定のない私は、Roy Hargroveのstrasbourg st. denisを聴きながら家でひとりビールの缶を開けるのだった。

 

友達はなかなか面白い奴だった。

彼は大学を卒業してから定職についておらず、実家で暮らしている。彼の最近までの「仕事」は、毎日PSPウイニングイレブンをやり、その経過をブログにアップすることだった。

ひさびさに会った、パーマをかけた彼は、不思議な安定感があった(ように私には見えた)。

 

いわゆる田舎であり、定職につかない人間に対して基本的には厳しい視線が注がれるこの島において、彼の存在は異質だった。だが、彼は私が知らない間に何かを見つけたのか、決して揺らぐことはなかった。

 

「俺、旅人になることに決めたわ」。彼はそう言い残して島を去っていった。そして私は決まり切った時間、決まり切った仕事のなかに再び埋没していった。

 

翻って、私の方はどうか。まったくもって不安定である。島に来てから特に、気分が天候に左右される。晴れの日の日中は人生に対する賛美歌を歌い、日が沈めば死を考える。私の人生の中の物語は、今どのあたりにあるのだろうか。

 

人生とは何か、仕事とは何か。その答えは未だ出ない。

雪山を歩くと...

先週、雪山を登っていたときのことだ。私は前を歩いていたアメリカ人の後ろについていた。もともとはそんなに難しくないはずのコースだったのが、一昨年の大嵐の倒木のせいで、迂回せざるをえなかった。そして、彼は急な角度の崖のような場所を登り始めた。あまりに急すぎて、彼がいなかったら私はその場所を登ろうという発想すらなかっただろう。私は彼について難なくその傾斜を登りきって山頂に到達した。

 

この出来事=物語は以後の私の内面に微妙な影響を与えた。出来事は、私の中で「障壁だと思っていたものは実は思い込みに過ぎず、思い切ってやればできることもある」という考えに一般化された。内面化した物語は、やがて私の行動を通して外部に影響を与えることになる。自分の内面的な物語と外の世界は繋がっている。ここに自分の内面的な物語を重視する理由がある。そもそも、自分は内面を通してでしか世界を見ることができない。

 

今の自分はそろそろ、内面に向き合わなければならない時期に差し掛かっているような気がする。

 

行動にはリスクが伴う。行動しないことにもやはりリスクが伴う。自分は変化を嫌うタイプではあるが、それ以上に退屈さを嫌うタイプでもある。私はその間をいったりきたりする。

 

自分がいかにして生きればよいのか、常に問い続けているが、一向に答えは出ない。しかし4年前と比べて、問いの内容が微妙に変化している。昔は「なぜ生きるのか」であったのが、今は「いかにして生き抜くか」になった。この違いは大きい。

 

とりとめのない文章になったが、この落書きが誰かに届けばいいと思う。

島にいた夢

2016年が終わった。私にとってはあっという間だった。

 

まるで、島にいたという長い夢を見ていたようだ。帰省した都会の空気は汚く、情報は多く、住み慣れたはずの街に強い違和感を抱いている。

 

島の生活、島の人々の価値観に同化したわけでも、賛同したわけでもない。彼らと私のものの見方は大きく異なっている。かといって、私は都会の人々が一般的に持つと信じられているのと同じ価値観を共有しているわけでもない。

 

自分の性格だろうか。都会を歩いていると、華やかな広告よりもむしろそこからこぼれ落ちてしまった人々に目がいく。それは浮浪者であったり、時代に乗り遅れた独居老人であったりする。彼らのなんとも言えない表情が私にはわかる。

 

それは、本当に彼らの声なのだろうか?おそらく、違う。

結局のところ、他人の考えていること、感じていることなどわからない。私は彼らの表情を見て、自分自身の深層から聞こえる生の声を聞いている。結局、私は、他人を媒介とした自分自身の意識の中に住んでいるだけだ。

 

それは独りよがりとは違う。独りよがりの精神的な引きこもり世界には他人が介在していない。それゆえに寒々しい、どこまでいっても空虚な世界が広がっているだけだ。その先には何もない。一方で、他人を介在した自分自身の意識世界には、生の血が通っている。温もり、声、呼吸がある。

 

自分の住み慣れた街を歩き、生暖かい夜の風を感じながら、私は果てしない孤独を覚えた。『社会』から追放されたような気になった。だが、それは生への熱望をも伴っていた。

 

「死んだように生きたくはない」それが20歳の時の自分の口癖だった。過去の自分に自らの存在の意味を問われている今、24歳の私は、その問いかけに答える覚悟ができている。死ぬ一秒前まで、自分は生きることを求め続けていきたい。不毛な被害妄想に陥ることなく、追放されてしまった苦しみや悲しみを生きることへの情熱へと転化したい。

そう決意した2017年の初日であった。

 

 

稚内

長い12月も終わりに近づいている。私は今、礼文島での仕事を納め、実家に帰るために稚内のホテルに滞在している(稚内には空港がある)。気がつけばもう、3ヶ月以上島を出ていなかった。

 

ホテルへ向かう途中、久々に乗るタクシーに戸惑った。金を払ってサービスを受ける。このことにとてつもない疲労と緊張を感じた。礼文島にいた頃は早く都会に戻りたかったのに、都会の空気に触れた途端、自分は早くも理想化された島に帰りたいと願った。

 

稚内のフェリーターミナルにつくといつも、島での生活は夢だったのではないかと思う。それくらい現実感がない。島には裁判所も税務署もない(郵便局やコンビニはあるが)。ホテルで自分の鏡を見ると、髪が伸び放題だったことに気がつき、慌てて美容院を予約する。自分の服装が野暮ったいことにも気がつき、もっと良い服を持ってこればよかったと後悔する。

 

子供の頃から、泊まったホテルの部屋にあるメモ帳に何気ないメッセージを残しておくという変な癖がある。ベッドメイキングの人がそれを見て何か想像するところを勝手に想像するのだ。先ほど、ベッド横に置かれたメモ帳には「then,where should I go ?」と書き残した。それは私自身の心の叫びに違いない。

 

次、自分はどこへ向かえばいい?答えは未だ、わからない。

23歳の終わり

今日も、礼文島には雪が降っている。11月としては異例の寒さであるらしい。最高気温がマイナス10度を下回ることもあった。

 

11月が始まるとき、隣の家に住んでいるおばあさんが「11月は一番嫌いだ」とぼやいていた。寒いし、薄暗い。12月以降の雪が降ってしまったあとよりも(気温がプラスにならないためにシーズン中溶けない雪のことを「根雪」という)、むしろ11月の方が寒い、と島の人は一様に言う。

 

日の出は7時近く、日没は4時前である。おばあさんの予言どおり、11月は地獄のように感じた。おまけに、気象庁のデータを見た限りでは、去年の11月より10度近く寒く、平均日照時間は1/4の1時間ほどだ。昨日本当に久々に青空を見た時、私は深く感動した。

 

23歳も今日で終わる。「23歳」は人工的な区分であるが、それを潜在的であれ意識して行動することで、「23歳」は現実のものとして現れる。区切りのもつ魔術的な(物語的な)力を今の私は信じている。

 

私の23歳は、まさに11月の礼文島のように苦しいものであった(あるいは11月の礼文島が私の回想に大きな影響を与えている可能性は十分にある)。それは人生の模索期、やっと社会的に「生まれた」自分がこの広い「社会」をどう生き抜いていくか、時には鏡を見ながら、あるときには未来を、過去を、別の可能性を、他人の言動の中にうつる自分自身を、自然を、そして宇宙を見上げながら考えていた。自分を規定する「物語」と時には対立し、書き換えようと試み、乗り越えようとすることで、何とか前に進もうとした。

私の22-23歳は、アフリカはスーダンのシャリフハサバッラ村で星空を見たことで「超克する近代人」の無意味さを悟ってから、礼文島で生活することで結局は無意味さの連鎖から自分を救い出すのは何かを「造る」ことだけなのだと前を向く方向に回帰していく過程であった。

 

24歳がどのようになるかはわからない。ただ、私にできることは、生きること、それだけだ。

美術館のない島で

大人になった少年は、淡い美の光を求めてどこまでも走り続けていた。彼はかつて世界中の美術館を巡った後、都会を飛び出して島に移り住んだのだ。

 

彼の突飛な行動を、あざ笑っている人もいた。以前の彼が持っていた地位や名誉を羨んでいた人間たちは、いなくなった彼の座席を指して得意げに様々なことを語った。しかし彼はあまりにも美を追い求めるのに夢中だったので、そんなことには気がまわらなかった。彼は、渡り鳥のように、自らの感性の赴くままに自由な精神で様々な場所を旅した。

 

ある朝、雲から光が差していた。大人になった少年は、赤紫色の景色のあまりの美しさに息を呑んだ。その暖かみに心癒されるのと同時に、癒されなかったものに思いを馳せた。自分が知った最新の秘密をポケットにしまって、彼は新たな美を求めて冒険の旅へと飛び立っていった。

 

 

食べる礼文

礼文島に住んで半年が過ぎた。最近、料理をはじめた。島に食べるところがあまりにも少ないが故だ。自炊記録をつけるために、新しいブログを立ち上げた。

 

cookingrebun.hatenablog.com

 

ぜひこちらもチェックしてほしい。